2013/01/09

定期・鍼診療の再開

 ~健康管理の1つの手法~

 2000年9月2日(土)が、この鍼療法の始まりです。

 小児麻痺の後遺症で動かなかった腕が鍼治療で治った現実を障碍者施設で働いていた長男が見届けていました。驚きと感動を得て有能な治療師だと確信を持ったようです。

父親は勤務先で受診した人間ドックで「測定不能」という超・高血圧症と診断されたばかりでした。隣町に開業した医者である教え子に診療を受け始めたのですが、降圧剤が通院ごとに変わり、降圧は出来るモノのまた薬が変わり悩んでいた時期でした。

 長男が仕事場に定期的に診療に来られる治療師に父親の現状を相談したら「通って来られるならどうぞ」との答をもらって自宅に帰って来ました。結婚式を迎える予定の長男が、渋っている父親に言いました。「元気でいてくれよ。孫を抱きたくないのか」と詰め寄られた父親は、まだ見ぬ(妊娠もしていない)初孫と元気で遊ぶ自身を想像すると答えは単純でした。「わかった。受診する」との答から数日後には予約をとってくれました。

 数種類の薬を束にして捨てました。

 後日談ですが、その踏ん切りには鍼診療師も仰天されたようです。血圧測定器が測定できなかったほどの患者が投薬を廃棄して飛び込んだことは無謀だったそうです(笑)。鍼診療は科学療法とは異なり、「目に見えて治って行く」様子も無いので長期(辛抱と忍耐)を要します。半年後に妻も診療を受けることになったのが、この長期間の継続療法を支えることになりました。

 あれから12年半(妻は12年)ばかり。

 昨日は、今年最初の診療日でした。妻の身体に明らかな変化の兆候が現れてきたことを診療師から聴かされました。言われて初めて老夫婦は納得できるのです。ロングランを走り続けている夫婦にとっては励みになります。

 夫婦共々、国民健康保険証は歯科医受診時に使用しただけの12年間です。小生は半年に1回の「歯の掃除」、妻は治療等で活用しています。

 鍼診療を通して「健康であること」への診療師からのアドバイスは人生哲学にまで影響を受けています。肉体の神秘(=自然治癒)への指導も「医者要らず」に役立っています。12年以上も前の長男の捨て台詞を思い出します。同居する孫たちとの格闘(笑)にも負けずに頑張っている老夫婦は「健康な幸せ者」だと痛感しているお正月九日目の朝です。 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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