2013/01/10

『歩禅』の記(7)

 ~やっぱり「歩く」のがサイコー~

 独り歩禅のために午後2時半の出発だった。

 老妻にも歩く意志はあるのだが、北関東の「風の冷たさ」に躊躇があるようだ。正月のご馳走腹の解消法を今年もTVやラジオで特報する時期になった。目と耳でその対処法を学びながら反省もする(毎年)。振り返ってみる程のことでもないが、飽食の時代に生きていると実感する。

 理屈はともあれ、「歩こう」と意を決した。陽射しが北風に勝ちそうな時間は午後である。2時頃なら大丈夫だと決め込んで玄関を飛び出した。田園地帯に差し掛かると遮るモノが無いので北風の直撃になった。しかし、一人だったり、ペアだったりグループだったりとそれぞれに午後の陽射しの中を「歩く」人の群れが多いのに驚いたが、励みにもなった。

 田圃道に入って歩く。

舗装道路でないこの畦道(耕運機も可動な道幅)がお気に入りのコースである。歩き始めた瞬間に携帯電話のベルが鳴った。送信先の電話番号から広島市とわかった。一昨年退職された校長先生からの電話だった。型通りの年頭のあいさつを交わして本題に入った。

 8月に予定しているという「現職研修会」への出講依頼であった。退職されて私学でご勤務の様だ。お元気そうな声に安堵した。なぜならば、この校長先生は退職と同時に私学への異動を計画されている所に社会人である娘さんがくも膜下出血で緊急入院となってしまったのである。その後の容体を電話で確認すると無事に現職復帰をされたとの由。ご自身の私学への復職も叶ったとの事だった。

 耳に携帯電話を当てて歩くことは好まない。従って通話中は風が吹き抜ける田圃道に立ち尽くしてしまった。下半身が固まったようだった。それでも心がほっこりする気分になり、田圃を吹き抜ける風に向かったり押されたりしながら帰宅した。  【実動:45分 6000歩】

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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