2013/01/03

お正月の風物詩

 ~初詣・里帰りと「お年玉」~

 東京・明治神宮と浅草寺の初詣風景をTV画面で見るとお正月を感じる。

 転居前の初詣は決まっていた。相模国一宮・寒川神社には半世紀にわたって参拝した。我が子のお宮参りから七五三のお祝いまでの全てに詣でた社(やしろ)であった。当地からは一足飛びで参拝に出向くことは出来ない。しかし、機会があったら詣でてみたいと老妻とも話している。

 神仏混交の文化で生きて来た老輩には、お正月の風物詩の1つはやっぱり神社への参拝であった。大晦日のTV番組に「ゆく年 くる年」(定かではない)があるが、何とも言えない響きを伝える福井県・永平寺の鐘の音は大好きである。「ゆく年」への謝意を伝える音色に聞こえるからである。そして0時を時計の針が回ると何万人もの参拝者で賑わう神社への初詣風景が映し出される。メディアの恩恵を受けて眺め続けてこの歳まで生きて来た。「行く年が仏閣で、来る年が神社で」とのキャッチコピーは当方のオリジナルであって文化論的な根拠などは無い。

 神様と仏様という「信仰の祖」の違いはわかりながらも混交して生きて来てしまった(笑)。親しい外国人には解せないらしいが、小生には「日本人文化」として十分に根付いてしまっている。是非論を戦わす気は無い。19日に東京で初仕事があるので、浅草寺にて初詣をしようかとも考えている。

 正月2日は、嫁いでいる二人の娘たちの「里帰り」がいつの間にか定着しているのが我が家である。茅ヶ崎市から土浦市に転居したので、千葉県佐倉市に嫁いだ長女は里帰りが楽になったようだ。東京・大田区に住む次女も正月の東京は嘘みたいに道路が空いていると喜んで里帰りして来る。

 年年歳歳、孫たちの成長も伴う。

里帰りの主目的は「孫たちの意図」が前面に表出する。『お年玉』も日本人文化の遺産であるらしく顕在している。子育ての日々にも存在感が強く、良くても悪くても「金銭の授受」は人間性まで歪ませる仕草になってしまう。お祖父ちゃんの立場からも「迷惑千万」の文化である。これもお正月の風物詩としてカウントするものらしい(笑)。こんな風物詩と一緒に今年も始発してもう三日目を迎えている。

 読者諸兄の「正月の風物詩」をお聞きしたいモノである。 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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