東京・明治神宮と浅草寺の初詣風景をTV画面で見るとお正月を感じる。
転居前の初詣は決まっていた。相模国一宮・寒川神社には半世紀にわたって参拝した。我が子のお宮参りから七五三のお祝いまでの全てに詣でた社(やしろ)であった。当地からは一足飛びで参拝に出向くことは出来ない。しかし、機会があったら詣でてみたいと老妻とも話している。
神仏混交の文化で生きて来た老輩には、お正月の風物詩の1つはやっぱり神社への参拝であった。大晦日のTV番組に「ゆく年 くる年」(定かではない)があるが、何とも言えない響きを伝える福井県・永平寺の鐘の音は大好きである。「ゆく年」への謝意を伝える音色に聞こえるからである。そして0時を時計の針が回ると何万人もの参拝者で賑わう神社への初詣風景が映し出される。メディアの恩恵を受けて眺め続けてこの歳まで生きて来た。「行く年が仏閣で、来る年が神社で」とのキャッチコピーは当方のオリジナルであって文化論的な根拠などは無い。
神様と仏様という「信仰の祖」の違いはわかりながらも混交して生きて来てしまった(笑)。親しい外国人には解せないらしいが、小生には「日本人文化」として十分に根付いてしまっている。是非論を戦わす気は無い。19日に東京で初仕事があるので、浅草寺にて初詣をしようかとも考えている。
正月2日は、嫁いでいる二人の娘たちの「里帰り」がいつの間にか定着しているのが我が家である。茅ヶ崎市から土浦市に転居したので、千葉県佐倉市に嫁いだ長女は里帰りが楽になったようだ。東京・大田区に住む次女も正月の東京は嘘みたいに道路が空いていると喜んで里帰りして来る。
年年歳歳、孫たちの成長も伴う。
里帰りの主目的は「孫たちの意図」が前面に表出する。『お年玉』も日本人文化の遺産であるらしく顕在している。子育ての日々にも存在感が強く、良くても悪くても「金銭の授受」は人間性まで歪ませる仕草になってしまう。お祖父ちゃんの立場からも「迷惑千万」の文化である。これもお正月の風物詩としてカウントするものらしい(笑)。こんな風物詩と一緒に今年も始発してもう三日目を迎えている。
読者諸兄の「正月の風物詩」をお聞きしたいモノである。
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