2013/01/08

年賀状に混じった「1枚の葉書」

 ~「そんなつもりではありません」と・・・~

 ついに、購入した年賀状が不足の事態(?)となりました。200枚で十分だろうと昨年より50枚減らして年賀状を購入しました。途中で「買い過ぎた??」と、小さな愚痴が飛び出しました。年金生活者と言う経済観念ではありません。読みが浅かったという自己反省です。

 孫が「お祖父ちゃんには、まだ年賀状が届いているよ」と10枚ばかりの葉書を持って来てくれました。「そうだね、今日もこんなに?」と、受け取った姿勢で立ったままに一枚ずつ目を通しました。

 この時期の官製はがきは目立ちます。1枚の官製はがきの送信者の名前を見てハッとしました。先日の「野球部のOB会」を休んでしまった小生に対しての「お詫び」を記した内容でした。幹事としての落ち度を詫びた文面でした。

 この歳(葉書の差出人は47歳)になってまでも、「中学時代の先生」に対しての気遣いが残存しているのでしょうか?「そんなつもりではないぞ」と葉書に向かって言葉を発しました。

 教員稼業とは恐ろしいモノです。この位のことで「立派なオトナ」に言い訳をさせてしまったことに心底より恥ずかしくもなりました。共に盃を交わしながら、「今だから言える」とばかりに中学時代の秘話を聴けるのが同窓会やOB・OG会なのです。そこに出席を促す「案内状」が届くと、参加する前から「教師冥利」を貪ってしまうのです。そんな動きに馴らされている教員出身者は、知らず知らずの内に卒業生たちからの誘いを当然至極の如く振る舞っているんでしょうね。

 このブログの愛読者には多くの「せんせい」達がいます。小生のこんなくだらないドジを笑い飛ばさずに真意を汲み取ってくださいな。

 昨年のこの野球部OB会には妻も孫も連れて茅ヶ崎(会場)に、当地・茨城県土浦市より馳せました。そして、直帰の時間設定では無理だと学んで帰って来ました。そんな経緯もありながら、招待状が来ないだけの理由で欠席してしまった形になりました。幹事さんにこんな気遣いをさせたことを反省しています。

 次回は、案内が無ければ催促しましょう。いつまでも「先生然として」生きているようでは卒業生たちに見捨てられますよね!!この画面を借りて、関係者にお詫びをさせてもらいます。次回は、また、この爺先生が茅ヶ崎に乗り込むぞ!!

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー