こんな風にして40歳、60歳の節目を考えて生きてきました。
二人の娘たちは共に2回目の成人式が過ぎました。末の子ども(長男)が来年2回目の成人式を迎えます。我々夫婦はとっくに3回目の成人式を終えました。老夫は来年に古希を迎える年齢になっています。列記とした高齢者になっています。
ある時代から「荒れる成人式」というキャッチフレーズが先行しました。「成人式を担当する」行政の部署では心を痛めたモノです。その行政部署から「腹立たしさ・苛立ち」の心情で見詰めた哀しかった日々を思い出しています。
このブログを書きながら「外は雨」を確認しています。
当時の部署・責任者が、「良かった!雨で。」と呟かれた苦痛の表情も、まだ鮮明に浮かんできます。雨天だと「荒れ方が緩い」との常識的判断からだったようでう。氏は既に物故者です。「何のための成人式なのか!!」との苦悩は当事者たちに通じなかったことを心痛し、今でも悩みます。
その頃の成人者たちの多くが「家庭を営んでいる」世代です。
その家庭で育まれた子供たちが「学校」に入学して来ます。親世代が「荒れる成人式」の乾燥した空気を吸って成長してくれました。「感謝する」気持ちは、親を含めた『大先輩の成人者』が教えなければ後輩の成人者は成長しません。
成人式の価値を、成人式で確認しても後の祭りです。
事に触れ、事に及んで「小さな教え」を積み重ねて成人式を迎えさせるのが親の任務です。文科省でも「親教育」という言葉が飛び交う時代になっているようです。「親」になってからの教育は後手過ぎます。
「三つ子の魂100まで」の先人の立派な教えに準じるならば、晴れ着姿の成人者を観ながら(テレビ画面でも構わない)、幼児に語りかけることが重要なのです。「きれいだねぇ~!」「おめでとう!」「立派なおとなになってくださいねぇ~!」等々の言葉を当事者に向かって、我が子の手を握り締めて言葉を発することです。
お祝い馴れに浸けられた現代っ子はバースデーケーキに感謝することも教えられていません。お年玉もいつしか「いくら貰えるか」で大人の値踏みをすることに飼い馴らされて育っています。そんな子ども達が「あっという間に」成人式を迎えるのです。恐ろしい時代が到来する土壌を、現代の大人社会が作っているのですから自業自得なのでしょうかね(苦笑)。
「2回目の成人式」に相応する我が子たちの子ども達(孫)も、こんな親心を理解させながら子育てをしてくれているのか、ちょっと心配の「成人式(=国民の祝日)」の朝です。
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