2013/01/14

『成人式』に思う

 ~2回目・3回目の「心の成人式」~

 こんな風にして40歳、60歳の節目を考えて生きてきました。

 二人の娘たちは共に2回目の成人式が過ぎました。末の子ども(長男)が来年2回目の成人式を迎えます。我々夫婦はとっくに3回目の成人式を終えました。老夫は来年に古希を迎える年齢になっています。列記とした高齢者になっています。

 ある時代から「荒れる成人式」というキャッチフレーズが先行しました。「成人式を担当する」行政の部署では心を痛めたモノです。その行政部署から「腹立たしさ・苛立ち」の心情で見詰めた哀しかった日々を思い出しています。

 このブログを書きながら「外は雨」を確認しています。

 当時の部署・責任者が、「良かった!雨で。」と呟かれた苦痛の表情も、まだ鮮明に浮かんできます。雨天だと「荒れ方が緩い」との常識的判断からだったようでう。氏は既に物故者です。「何のための成人式なのか!!」との苦悩は当事者たちに通じなかったことを心痛し、今でも悩みます。

 その頃の成人者たちの多くが「家庭を営んでいる」世代です。

その家庭で育まれた子供たちが「学校」に入学して来ます。親世代が「荒れる成人式」の乾燥した空気を吸って成長してくれました。「感謝する」気持ちは、親を含めた『大先輩の成人者』が教えなければ後輩の成人者は成長しません。

 成人式の価値を、成人式で確認しても後の祭りです。

 事に触れ、事に及んで「小さな教え」を積み重ねて成人式を迎えさせるのが親の任務です。文科省でも「親教育」という言葉が飛び交う時代になっているようです。「親」になってからの教育は後手過ぎます。

 「三つ子の魂100まで」の先人の立派な教えに準じるならば、晴れ着姿の成人者を観ながら(テレビ画面でも構わない)、幼児に語りかけることが重要なのです。「きれいだねぇ~!」「おめでとう!」「立派なおとなになってくださいねぇ~!」等々の言葉を当事者に向かって、我が子の手を握り締めて言葉を発することです。

 お祝い馴れに浸けられた現代っ子はバースデーケーキに感謝することも教えられていません。お年玉もいつしか「いくら貰えるか」で大人の値踏みをすることに飼い馴らされて育っています。そんな子ども達が「あっという間に」成人式を迎えるのです。恐ろしい時代が到来する土壌を、現代の大人社会が作っているのですから自業自得なのでしょうかね(苦笑)。

 「2回目の成人式」に相応する我が子たちの子ども達(孫)も、こんな親心を理解させながら子育てをしてくれているのか、ちょっと心配の「成人式(=国民の祝日)」の朝です。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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