2013/01/27

『器械音痴』の自己嫌悪

 ~ウォッシュレットが故障?~
 

 正月明け辺りから様子がおかしかった。上手く流れたり流なかったりするのが気にはなっていたが、「完全停止」状態に陥るとパニックである。早速、工務店から戴いているメーカーの使用説明書を開いてみる。製品番号と照合しながらトイレを往復する。故障であれば母屋のトイレが使えるので日常的には不便は感じない。しかし、排せつ物が流れないままの状態では平静さを欠いてしまう。

 説明書を片手に30分ばかり往復していても埒が明かない。今度は、「ウォッシュレットの故障」と入力してパソコンという文明の利器を頼って検索を始める。目に飛び込んできたのが、「リモコンの電池がキレている場合」の文字だった。電気で全てが動いているという錯覚が往々にしてある。コードを繋いで電力で運転していることだけが脳裏を支配しているのだろうか。全く思考回路に存在しなかったリモコンの「単3電池2本」の威力をイヤとなる程に気づかされた。

 慌ててトイレに飛びこんでリモコンを抜き出して持ち出す。買い置きの電池を収納している電池を取り出して交換する。それでも「器械音痴」には自信はない。こんな電池でウォッシュレットと言う文明の利器が簡単に動くわけがない。老脳は始末悪い。つまり思い込みが先行するのである。

 電池交換を済ませたリモコンをはめ込んでボタンを押してみる。

 全く可動しなかった「立派なウォッシュレット様」から音を立てて気持ち良く水が流れるではないか!心配顔の老妻にも安堵感が戻った。小さな電池2個でこんな大きな動力を稼働させているのか!?老脳には衝撃として十分に文明の利器を意識できた筈である。

 しかし、この衝撃の効果は時間と共に消滅する(笑)。つまり、またパニックに遭遇すると文明の利器に振り回されてしまうことになるということである。

 そこで、「老脳の二句」をご紹介します。ご笑納ください。

文明の 利器に泣かされ 老いを感じ 今朝の寒さに 立ち往生  龍峰

 文明の 利器で助かり 無駄な竿 挿さない知恵を 悟りたり   龍峰

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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