「もしもし、●●です」と、聴き慣れない声にお名前が聞き取れずに聞き返す小生に、「先生ですか?」と畳み掛けられて、再び「えっ?そうですが・・」と返すと、電話の向こうでも「●●です」と繰り替えされた。
声の主はその後判明したが、その変貌ぶりに愕然とした。老妻が茅ヶ崎市の自宅で20年ばかり書道教室を開業していた頃のお弟子さんである。お弟子さんとは言え、年齢的には老妻より5歳ぐらい若い女性である。ご夫婦の問題やお子さんの結婚問題に振り回される度に、書道のお稽古より「愚痴」話を聴いてあげる時間で過ぎてしまった、と老妻の「愚痴」を聞いたことがあった。
ご主人は旨い寿司を握る職人さんで職場の同僚と何度も食べに行った仲である。カウンターの向こうで夫が寿司を握り、接客は妻がてきぱきとこなす店内は時として同行者が同席できない程に繁盛していた。能天気な小生には「理想的な夫婦」としてしか映っていなかった。
どうして?解せない展開は「坂を転げ落ちる」速度になり、離婚と家族離散まで到達してしまったようだ。「お習字を習って店内の寿司メニューを手書きする」との熱い意志で老妻の書道教室の門を潜られたのがきっかけだった。
電話の内容は、老妻が投函した年賀状のお礼と年始の挨拶だったそうだ。
寿司店の廃業から苦難の人生となった彼女の運命は、老妻にとっても例のない非業になった。不幸にも癌が発見され入院された。夫も子ども達も面会にも来てもらえない状況に老妻も心痛していた。お付き合いが今でも続いていたことを再認識した。
幸いにも「病魔からも遠ざかった」との情報だったらしい。商売繁盛で華やかだった頃の、美貌と元気ぶりの彼女しか記憶にない小生には同一人物として電話の対応が出来なかった。電話が終わっても老妻との話題は彼女のことだった。語り続けながら「人一人の運命」なるものを感じ入ってしまった。快復の暁には、当地・土浦まで訪問するとの約束が出来たようだ。その日の実現を小生も待ってあげたい心境になった。
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