2013/01/29

引き際も「いろいろ」

 ~「引退」とは一つの節目~

 新聞記事(=写真版は『寸心紀行』・右欄枠をクリック)を読みながら懐かしく教員時代を思い出している。

世間を騒がせている「運動部」の指導をしている時である。しかも、それは中学校運動部の中でのことである。3年生になって公式試合が全部終了すると部員は「先輩たちが引退する」という時期を迎える。

 可笑しくないかい?15歳になったか、ならないかの「時期」を引退すると言う言語文化は教育文化には不似合いに思えて仕方が無いからである。この場合の「引退」は、バトンタッチの時期でしかない。これを学ばせることも運動部の指導者の任務と考えている。

 高見盛という関取は大相撲ファンの小生は当然ながら知っている。最後の土俵もライブのTV画面で観戦していた。アナウンサーの言葉を裏打ちするかのように、土俵を下りた関取を取り囲むカメラフラッシュの海を歩いて画面から消えた。解説者も「引退」という言葉を数回発した。独特な仕草でファンを呼んだ関取だったので小生もわかってはいたが、詳細は知らなかった。大勢の力士が誕生して多くの引退力士もあり、盛衰している業界である。そんな業界の中でここまで記事になることを考えるとこの力士の存在感(=『プロ』意識の評価)が、「引退する」節目で高く評価されたのだ。と思わざるを得ない。引退したこの力士には四股名から「年寄」という新名称が待っているという業界である。今度は指導者の役目を担うらしい。正に「新しい世界」への橋渡しとなる「節目」であることの証明である。

 引退とは新旧交代であると同時に新世界への旅立ちである。

 予定より1年早かったが、小生にも「引退」の節目はあった。その日からこの3月で9年間の歳月が流れることになる。この新世界には引退はない。この引き際は自らが独断するのである。色々な『引き際』があることも承知している。そんな思いをじっくり考えさせられる力士の引退であった。
 
ファンを魅了した仕草の裏を初めて知った。心から「お疲れ様でした」と言いながら、新世界での新たな活躍を期待していることも併せて伝えておきたくなる力士でもあった。 

事務連絡:明日(1月30日)より2月2日まで休刊します。新ブログ『寸心紀行』も当然ながらこの期間は休刊します。その後も、講演遠征の日程上から2月10日までは「飛び石」状況での休刊になります。ご了承ください。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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