2013/01/13

我が『快老録』

 ~曽野綾子氏の著書を読んで~
 

  人は氏を「みぎ」思想家と言うそうですが、当方には「右」も「左」も関係ありません。ちゃらんぽらんの人生を歩んできた人間にとっては、時として氏の言葉にカチンと衝撃を感じることがないとは断言できません。著者を好んで本を選ぶことも多いのですが、気が付けば氏の著書は書棚に多くあります。
 加齢を痛烈に感じ始めた頃、氏の著書を頓に多読する傾向があると自覚しています。『自分の始末』という本があります。その中(第8章)に、「自分の時間」を管理する知恵 がありました。その中に「一日に一つだけ積極的に物事を片づける」というコーナーが特に心の中に飛びこんで来ました。
 川北義則著「引き際の美学」を並行して読んでいた時でしたので、曽野氏の「一日に一つだけ積極的に・・・」歩んで来た道に放置しているモノ・コトへの非礼さと無責任さを痛感してしまったのです。校長の現職時代に起ち上げた研究会も紆余曲折はありながらも17年間続いています。協力してくれた当時の同僚や仲間も、「退職期」を迎え始めています。書店の棚に「引き際の美学」を発見して、電車の中で読み切ってしまった程に衝撃を受けました。
 新年元旦より、新ブログ(別のサイト)を創設したのも、「引き際」と「積極的な片付け」を盛り込みたい一心です。新ブログについては既に右欄にそのアドレスをご紹介していますので覗いていただいているようですが、曽野氏の言葉をお借りすれば「快老録」として活用することになります。
 そこで手始めに、過去に多くの出版社から依頼を請けて執筆した「駄文集」を紐解きました。加除修正をして再掲しようと考えました。まさに駄文ですが、未熟だった(今でも)着想に加筆をして後輩諸兄の参考資料になれば、と思い立ったのです。感謝の気持ちをそっくり「恩送り」出来ることを願っています。
 寸心とは、哲学者・西田幾多郎氏の発言で「小さな志」だそうです。偉人諸先輩の「言葉」をお借りしながら、自分の始末を「快老録」として新ブログ(『寸心紀行 http://sunshinki@exblog.jp/』) に月曜日から金曜日までの5日間を基本として復元いたします。
 感想やご意見を戴くよりも、現役の「いま」、活用できることが見つかってくれることを切望するところです。新年が明けたと思っている内に、もう10日間も過ぎてしまっています。週末から当方にも「仕事始め」が待っています。また、全国のどこかで再会することでしょう。楽しみにして出かけます。待っていてください。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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