2013/01/21

ついに我が家にも・・・

 ~40度の急な発熱~

 「病気知らず」の異名を自覚している次男坊が朝の検温で39度の高熱だという情報が「離れ」の爺婆まで届いた。「通院が趣味かい?」と言われるほど弱かった長男孫はユニフォーム姿でサッカーの試合に出掛けて行った。お祖母ちゃん(=老妻)は、もう一人の病弱児・三男坊への感染を心配しているようだったが、すぐ上のお兄ちゃんが休んでいるので外で隣家の同年代の男の子たちと元気に庭で走り回っていた。これも引っ越して2年間の内に見違えるほど元気になっている。

 家族全員がインフルエンザに罹った時も、この次男坊だけは健康で通したという武勇伝(?)があり、本人の意識の中にもインフルエンザには罹りたくないと願っているようだ。母親は長男孫のサッカー試合への送迎で出かけていたので、父親が病院に連れて行った。「判定は明日に」と再来を指示され、解熱剤だけを貰って帰宅した。

 長男夫婦は障碍者施設に勤務している。

 インフルエンザの流行期になると、マスク着用は義務のようである。ノロウィルスとの関わりにも異常な程に神経質になる。無理もない。障害のある方たちは流行性の病気に対しても弱者だと長男夫婦が説明してくれたことがある。我が家にも職場にもインフルエンザの羅漢者が目立ち始めたようである。

 千葉県に住む長女から他の用件で電話が入った。

 母屋の次男坊が40度の高熱だと老妻が喋っている。途端に大声で笑い出した。電話が終わったので「笑い」の原因を問い質して小生も思わず噴き出してしまった。長女が「お祖父ちゃんお祖母ちゃんも弱者です、と弟に言っておいた方が良いよ」との発言だったそうだ。そうか、高齢者は弱者の部位に属するんだ!!

 ともあれ、『手洗い・うがい』の励行だけは欠かせない。そんな意識を再確認し合った弱者夫妻の一日だった。今日の再診で真偽が判明する。親は心配で業務も大変だろうが、こんな日のために老両親に同居を要請したのだから、爺婆としては頑張って務めることにいたしましょう。

 読者の皆さんのご家族はいかがでしょうか?お互いにきをつけましょう!!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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