学校に勤務している人種だった時代には「御用始」なる儀式とは縁が遠かった。「学校教育の主人公は子ども達」とばかりに嘯くのは教師病ではあるが、その本質に気付くことも無く退職して「鬼ばかりの世間」に放り投げられる。世間の冷たさを感じるのも職業病の後遺症である。これは単なる自己評価である。
しかし、僅か10年間ではあるが、茅ヶ崎市教委での仕事で「お役所生活」を経験させていただいた。全く別世界と感じるのは「子ども達」の声がしなかったからだろうか。いや、それだけではない。教員とは別の思考回路で業務を遂行する人種とのコミュニケーションに違和感を抱いたからである。業務用語自体が異文化でもあり身動きが取れなかった。40歳も過ぎてから初体験する人間には住み心地の悪さだけが圧し掛かって来たような錯覚が貴重な10年間として今朝、蘇ってくる。
この経験は「我が人生の財産」となって70歳に近くなった高齢者の生き様を支えてくれている。1月4日から終日勤務することは一般社会で生きる人種には常識であるが教員には、1月8日の「始業式」が仕事始めに該当するので新年の当初の迎え方にも大きなズレが生じていたのである。
元旦から18日が過ぎた、本日(1月19日)に「御用始」をする。「今日から仕事が始まる」と豪語するのは可笑しいだろうな。自由業の身には不似合いだろうが、仕事始めは確かに今日である。遠くは鳥取県・広島県・愛知県からも、わざわざ高額な旅費を使って東京の会場まで聴講に来られるらしい。事務局の校長先生から昨夜最終の連絡が届いている。
こんな歳になっても「御用始」の興奮は新鮮である。
今年も8月の学校単独の夏季研修会や秋の行政主催講座への出講要請やが届き始めている。当面は、今日の仕事始めを皮切りに月末から2月半ばまでは、ハードスケジュールの講演が続くことになってしまった。しかし、心身ともに充実感で受け入れられる。待っていてくれる同業者がいることへの謝恩の精神を忘れずに挑むことが出来る。至福である。健康管理に気を付けながら、今年も全国の後輩諸兄の下に、「元気を届ける」ために飛んで行こう。そんな意気込みで「この冬一番の冷え込み」も気にならない朝である。
今日の講演内容の一部の紹介を『寸心紀行』(右の欄から入って覗いてください)に登載しています。講義で使う本の紹介です。ご覧ください。
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