2013/01/15

『国技』館に想う

 ~大相撲の推移に一喜一憂~
 
   自称「大相撲ファン」である。
 子ども時代に九州場所を終えて巡業に来る「お相撲さん」を応援見学に行った。学校行事として企画されていたような記憶が残る。「若秩父」という19歳の役力士を目の前で見た。大き過ぎて表現に困った少年は「僕の画板には描けない大きさでした」と翌日の作文に書いた。先生の批評が面白かった。「先生も同じです」だった。何故か鮮明に記憶しているから少年にとっても先生の感想が面白かったのだろう。
 神技と表現されるほどの「国民意識」文化の強いスポーツである。柔道や剣道等も我が国独特のスポーツではあるが、少々ニュアンスが異なるように感じる。両国に「国技館」が完成した時、偶然ではあるが九州から両親が上京していた。案内した。義父の感動と感激が伝わってきたことを覚えている。
 あれから幾星霜。東西の両横綱が日本人力士ではない。心技体の充実度が求められる「国技」を立派に務める横綱の努力には頭が下がる。歴史の推移の中で、ご多分に漏れず不祥事が多かった。その都度、「外国人力士」の存在感が話題になる。本末転倒ではないか!「国技」館内に掲げられる優勝力士・額にも、「国技」を負う国民の顔はない。国技と並び称される柔道も、世界スポーツの仲間入りして以来衰退の一途を辿る。世界大会でのルール改正に伴う闘いぶりに「国技」の本質を感じ取れなくなっている。スポーツに対する国民意識の相違であることは十分理解できる。外国の精神文化で育った力士たちが、立派な日本語で「相撲道に精進します」と発するところが相撲界と柔道界の違いなのか。
 高校スポーツ指導者の問題点が吐露されて哀しい。「泣き寝入り」文化に馴らされている日本文化の中では「外国で誕生した」種目でも同様なのか。とすれば、横綱・白鵬という力士の「日本人化」には誰もがクレームは付けられまい。
 「国技」に称号に拘らず、「人間を磨く」ことへの意識を鼓舞することで相撲道とという日本文化が世界に羽ばたくことを期待したい。体格的にみても日本人力士の劣勢は否めない。「小よく大を制す」だけの勝算を期待される日本人力士集団にとっては厳しすぎる。重荷過ぎて角界入門者も激減するのかも知れない。
 そんな折り、1枚のチラシが目に留まった。
 文面に見るキャッチコピーが何とも言えない。「両国に熱い雪がふる」とは、今日の銀世界の東京(両国国技館・現場)を言い当てて妙である。相撲道に精進する力士集団の頑張りを期待したくなる、一人の大相撲ファンの「熱い思い」である。

 今日のこの本文をアップした時点では写真添付するのに失敗しましたが、数回のチャレンジで見事に(笑)アップできました。 『寸心紀行(=すんしんきこう)』で検索ができます。この右の欄枠内にある案内版から入ることも出来ますので覗いてください。(14:30完了) 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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