社会人生活は教員としての勤務だけで終わってしまった。
大きな組織の中ではちっちゃな存在感ではあったが、教員と言う職業観は意識として高く抱いて生活していた社会人であった。それは、退職しても消滅していない。着任式に始まって離任式で一区切りを終えるリズムは数回を経て、そして退任式を迎えることになる。新たな「節目」を意識して現職から離れる。これが一社会人(職業人)としての流れであった。その折々に「意識を鼓舞する」ためにも存在感があったのが「節目」であった。これは事実である。
退任式を済ませると「ただの人」となる(笑)。
「ただの人」になった筈の本人でも、人によっては死ぬまで「現職を引き摺る」人生が待ち受けている場合があるようだ。どちらかと言えば当方もその部類の「隅っこ」に存在しているように思える。
生まれ故郷を18歳で離れ、大学生生活を送るために仮住まいにした茅ヶ崎市が「家庭生活」の本場に変わっていた。子育てにも色んな節目がある。我が子の成長と共にその節目に一喜一憂することもあったような気がする。
その節目は最期の日まで顕在する。いや、世の中から実体は消えても「回忌」(=仏教では)という節目があることも他界した両親を偲ぶ機会に、つい先日実感したばかりである。節目の存在感は「その人なり」に多種多様に受け止めるように出来ているのだろうか。
我が人生の、最近の大きな節目は50年間住み慣れた神奈川県茅ヶ崎市から生活拠点地を茨城県土浦市に移したことである。70歳近くになっての転居は、『無謀な人生』と敬愛する鍼診療師に言わしめたほど稀有な節目らしい。気候風土が違う。生活習慣が異なる。この地の文化の香りを異文化と呼称するのに抵抗なし!
だからこそ、「大きな節目」になったと強く意識している。
そんな日々を過ごしていると、「ただの人」にも年に1回は小さな節目が必ずやって来る。60歳代最後の節目が否応なしにやって来た。孫たちの唱和するメロディを聴きながら至福を感じる。幸せな後期高齢者がここにも居ると実感した夜だった。手作りの贈り物、少ないお小遣いをはたいて買ってくれた物を贈ってくれた孫たちと、習っている曲のリコーダー演奏で贈り物にしてくれた孫の存在感は、転居の大英断が『幸せな節目』となっていることをしみじみ味わった昨夜だった。
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