2013/10/06

『老脳』の鍛錬にはもってこいの「課題」、その追究とは?

 

 県内筑西市にお住いの91歳のモンスター(非礼とは承知の勝手なネーミング)の話題を当ブログで以前登載しました。同業者としての大々先輩です。

 当方が仰天した様子が上手く伝わったと喜ぶべきでしょうか(笑)。読者からは「角田先生が驚くほどの大先輩だから凄いランクにある高齢者ですよね」とのメールや手紙が届きました。読者のご指摘は否定するモノではありませんが、結句に「だから、自らの事を老輩とか老脳とか老齢者らしく表現するのは止めてください」とのお叱りも多く受けました。

 しかし、現実の生活をしているだけでも高齢者として社会の「階層に位置している」ことは、様々な手続きを済ませる度に自認せざるを得ないのですからご容赦願いたいですよ。ただ、同業者の他の諸先輩の中にも80歳を超えて、言動だけでは現役の教員が畏れるほど元気な方と多く出会う度に「お叱り」の内容を是認せざるを得ないのも偽らざる現状です。そんな瞬間はたじろぐ思い出はありますが、自らを奮い立たせる気力だけは未だ未だ顕在でございます。諸先輩のような立派な実績が積めるかどうかは自信ありませんが、意欲十分であることだけはありますので、他事ながらご安心願います。

 本日のタイトルの解釈をいたしましょう。

 学校や各種団体、行政からの要請を受けて出講する人生が、退職以来10年間で、すっかり身につきました。要請の趣旨や意向を吟味して、講演や講話、あるいは講義と分類をしながらレジュメの作成に取り掛かります。

主催者の意図を吟味しながら、登壇する雰囲気を仮想します。要求される課題が、小生の「小さな学習領域」からはみ出して仮想すらできない時は悩みます。そんな弱者を救ってくれるのが月刊誌です。この月刊誌は教育専門誌ではありません。業界用語に溺れていると難題には太刀打ちできません。「知致(=ちち)」「MOKU(=黙)」が我が浪漫人生の『助さん格さん』として役に立ってくれます。書庫に潜り込んで10年前の月刊誌の記事を微かな記憶を頼りに「貪り読む」に入ります。

自らの浅学を補うための資料作りを始めます。読んだ本や雑誌を簡単に捨てきれない(=家人は貧乏性と思っているだろうか?)理由がここに存在します。埃を被った本や雑誌から「宝物」を発見すると、パソコンに向かって自主編成に取り掛かります。A4版1枚にして「資料」として完成させます。講演や講話、講義をするための「貴重な助っ人」が出来上がると心が浮揚します。

老脳が廃れ逝く暇がない!

いただいた難題と向き合う気力が萎えてしまったら我が人生も緞帳を下ろすことに躊躇はないでしょうね。今回の最大の難題は、11月末に出講する、某市の民生委員児童委員さん方の研修会から戴いたモノでした。同会の研修テーマが『震災からの変化・絆を考える』とあり、講演の演題が「震災からの親子の絆・地域の絆を見直すための今後の課題」となっています。

教員とは名ばかりの我が人生ですが、このような課題を仰せつかれば、老脳の脳味噌にも塩分も水分も補給することになります。この補給の時間を「至福の時」と置き換えながら生きています。

実際に講演を終えた時点(11月27日)以降に、新ブログ【寸心紀行】に実践記録として登載します。ご期待ください。







0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー