~心洗われる瞬間~
先日、友人から自作の「篆刻」を見せて貰った(写真)。
有名な書道展での入賞作品と言う。素人の小生には作品の本当の良さはわからないが、何となく心引かれる書であることだけはわかった気がする。ところが、意味がわからん!意味なんかわからなくても芸術品として観賞すれば良いのだろうが、この変人はどうも、すんなり芸術を鑑賞する力も無いらしい。それでも、書の持つ威厳と言うのか、書家の発する運筆の魅力と言うのか分からないが、「心にす~っと何かが入り込んでくる」感じがした。
ご本人の許可を得て写真に撮らせて貰って帰宅した。じっくり眺めたいと考えたからである。何と書いたのかと制作者に問えば、メールで4文字熟語が返ってきた。『雲遊(へい=くさかんむり+さんずい+たいら)寄』と書いてある。ところが、小生のパソコン力量では漢字を上手く取り出せない。悔しいが、漢和辞典には確かに出ていて意味の見当が着いた。【うんゆうへいき】とでも読むのだろうか。
取り出せない「へい」と言う漢字の意味は「うきくさ」のようである。「雲遊」の熟語は流れゆく雲と遊ぶのだから何となく分かるような気がするし、続く「うきくさ」も根無し草なので、4文字が繋がっていくような気分になった。そこまで辿り着くとホッとする。やっぱり芸術鑑賞には不向きらしい。
素敵な書(素人には正確な評価は無理)には、きっと引きつける魅力が備わっているのかも知れない。どんな世界でも力量を積み上げるには、見えない時間で、人には見せない努力があるものだ。書の世界で活躍する友人の頑張りに敬意を表しつつ写真版にして眺めることにしよう。
外は師走の冷たい雨の朝。
今日で仕事が終わるとばかりに喚いている我が儘な爺の視野に、こんな書が入ってくると年齢相応に人生の機微が理解できるところを示さなければならないような気分になってしまった。昨夜の美酒も冷め始めた。2010年最後の仕事に出向く準備でもしましょうかね。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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