~歯の定期検診~
田舎の少年時代。暮れの忙しさは母が大掃除の準備を始めると感じた。
手伝いを言い渡されないように裏木戸からそっと外に抜け出たモノだった。しかし、遊びから帰ってくると、兄や姉たちが手伝ったらしくキレイになっている庭や玄関を通る時、いかなる図々しい三男坊でもいささか気後れを感じたことを思い出す。そんな風物詩も今となれば懐かしい。
さて、拙宅の「暮れの大掃除」はどうかな?
殆ど無縁な生き方をした小生は、退職しても殆どその生活スタイルが変わっていない。つまり、殆ど老妻の労力に負んぶに抱っこの状態で推移してしまっている。今年は早めの「仕事納め」だったので少しは本気で取り組むことにしようか。しかし、長年の習慣は恐ろしい。全く当てにされていないのは今年も変わっていない様子である(笑)。
そこで「自分でしなければならない」大掃除だけは・・・・。
歯の定期検診の通知が届いていたので夕刻を予約して行って来た。唯一「国民健康保険証」を使用する機会である。未だ1本の虫歯のない小生は、最近になって「歯の大切さ」を感じるようになり、日常的な努力もするようにまで成長(?)している。妻のお陰である。妻は歯が弱く痛みに顔を歪めることも多い。歯痛の辛さを知らない能天気な小生にとって、最近の心情の変化をもたらしてくれた妻に感謝している。今日も歯科医から「このままの状態で最期まで頑張りましょう」とのエールを戴いた。親不知の歯も虫歯になっていないとの診断で勇気づけられ、掃除だけを済ませて帰宅した。
短絡的人生を謳歌している小生の暮れのお掃除は、何と「歯の手入れ」でありました(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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