2010/12/28

「育つ」ための育て方

 ~頷ける育成法~
 お勉強ができる子。
 まるで人生の金字塔でも建てたかのようにもてはやされた時代が学校教育界では続いたような気がする。日本語には「頭が良い」という表現があり、この現象を裏付けている。また、通知表という印籠には「オール5」という名目も燦然と輝いていたことをご記憶にあるだろうか。文武両道という金言もあったような気がする。
 速いだけ、強いだけでは駄目。おごらず、天狗にならないことを学ばなければ、社会で通用する人間にはなれない。
 頭が良いだけでは駄目。お勉強の成績が良いことで威張ったり、友人を蔑視したりするような人間が社会で通用するようではその社会は必ず没落する。
 こんな風に言い換えながら読んでみたが、いかがなモノだろうか。
 立派な功績を残す人物には共通性があるようだ。上岡氏にも言える。その1つが「親(師)への感謝」である。最後の文言には胸が熱くなった。人生って、そんなモン?なんて言ったら氏に怒られるかも知れないが、凡庸な小生すらそう思うのだから多くの先哲は同意されるだろう。親や師から受けた恩を忘れずに今日を生きることが「大事を成し遂げる」ことにつながることを再認識させられた。育てることに長けているいる人物には、もう一つ共通点がある。それは「変わらない哲学」ではないか。ここでは「意地」とでも表現しておこう。それは長距離陸上界で常識になっている「外国人留学生」を活かしての制覇である。そのことへの「意地」なのである。「留学生に頼らなくても勝てるということを見せられた」と言う氏の言葉が何よりの証である。(排他的ではないことぐらい読者の皆さんもおわかりですよね。) 
 
 我が家の豆台風群団は、居心地をもう1泊延ばすことになったらしい。
 迎えに来る筈の両親が「仕事の都合上」から明日になってしまうとの一報があったようだ。「やったぁ~!!」と叫ぶ声も聞こえる。ご滞在が24時間延びたと言うことは・・・。老体に「あと一鞭」入れるようだな。第4コーナーに差し掛かったところで、「あと1周」と言われれば鞭を強く入れるしかないではないか。
 子供達は懸命に生きている「親の背」を、見ていないようでみている。親たちが暮れの暮れまで必死に働いていることは、子供達には今はわかるまい。しかし、必ず分かる日がやって来る。「こっちは心配しないで、頑張りなさいよ」、と娘に語りかけた老妻の「心声」は届いたことだろう。
 親孝行 したい時には 親はいない。
 小生にももう両親はこの世にいない。結局、親孝行の真似事もしてあげないままに逝ってしまった。上岡氏の「それだけが心残り」と言う思いは、自身の生き方に更に強い絆として残ることだろう。
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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