~せいねんこうけんせいど~
以前チラッと聞いたような気はしながらも、解説するラジオのアナウンサーの言葉に耳を傾ける。
これって、「親子の関係」が不成立の「高齢者」を支援する制度であることは判断できる。詐欺行為や商売が罷り通るイヤな世の中で生活しておられる高齢者の皆さんには気の毒な気分で一杯である。それ故に、こう言う制度の存在は決して否定は出来ない。半面、モグラたたき式の制度であることを真剣に追究する世の中であって欲しいと願わざるを得ない。弱者をいたぶる悪事行為の温床がどこにあるのか。「いじめ構図」の源泉であるならば、その元凶を追求しながら次代の若者達にその消滅を促しておくことが最優先ではないか、と半身浴をしながらラジオに向かって語りかけてしまう爺である。
浴室から出た。直ぐに調べてみる。どんな漢字を充当する制度なのか。
成年後見制度。高齢者支援制度の一つであることを正式に認知した。しかし、判然としない部分もある。親族からの申し出が出来ない場合は、地域の長(区長等)の紹介で恩恵を受けることが出来るとその制度は表現しているが・・・・。
以前、学校勤務時代に、「子どもの虐待」に関する協力を民生委員さんにお願いしたことがある。
返ってきた言葉に日本人社会の「向こう三軒両隣」的なムラ意識がすっかり消滅していることに愕然としたことがある。『プライバシー』という表現が、島国である日本にもすっかり根付いてしまったという確認に八方ふさがりを感じてしまったのである。プライベートな事象には、入り込んで行くのは難しい、との応えであった。当然ながら学校から児童相談所に一報することは出来たが・・・・。
今朝の話題は、子どもの虐待ではないが「高齢者の虐待」と理解しても(本質的にはズレるが)的は外れていないような気にもなった。なぜならば、そこに、やっぱり「親子の関係」が背景に映るからである。わが子を虐待したり、自分の親を粗末にして扱うなんて哀しい時代になったモノである。
そんなことを考えながらラジオを聴いていると、今朝は「この冬一番の冷え込み」とラジオが畳みかけてきた。半身浴のお陰で爺の身体はぽかぽかしたが、さむ~い話と外気の寒さの二重奏に一瞬、老脳も凍てついてしまった(笑)。
今日は久し振りの鍼診療日。東京都町田市まで老妻と一緒に行ってまいります。どちらさまも寒さに負けずに風邪の菌を蹴散らしながら師走を駆け抜けてくださいませ。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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