2010/12/21

今度は・・「社会人力」

 ~ご時世の「はやり言葉」~
 とは、申せ・・・。今度は「社会人力」と来たモンだ!
 とは言いながら、つい数時間前に書き上げた執筆依頼原稿にも「指導力・授業力・人間力・・・・」と書き連ねた執筆者がここに「身の程知らず」の批判を述べようとしております。平にご容赦を願います。「今年の世相」を漢字一文字で表現することも、ご時世の流行り?今年は何だったのかな。
 この写真版を2度ぐらいクリックしていただけると文字も大きく見えますので注釈傍線の箇所をじっくり覗いてみてください。この記事そのものを批判しているのではありません。また、開発に取り組んでいる業者への非難でもありません。
 哀しくなったのは誇りある「大学教育」の権威の失墜です。
 ここまで外部産業の支援(?)を必要とするほど大学生の学力は地に落ちてしまったのかと小さな声で叫んでしまいました。「大学」って、何をするところ?高校までの学習実態の上に「専門分野での研究を深める」ところ、じゃないの?論文を完成させて「自らの学びを集大成する」ところでしょ?違うのかな。
 社会人力(とやら)を大学在学中に付けさせる?それって、大学入学前までに、身近なところから親や教師、地域が「叱ったり注意したり怒鳴ったり」して身に付けさせるべき事柄ではないのかな?
 ここで言う「社会人力」のデータだけが独り歩きして、「就職力」アップに繋がるの?どんな社会人が実社会では求められていると判断されているのでしょうかね。
 つい数日前に、27歳の青年が起こした事件がまだ記憶に新しいですね。年齢的には大学院も卒業している(年齢で)立派な社会人ではありませんか。人それぞれの「育つ環境」には大きな違いがありますから個人攻撃はしたくありません。しかし、社会人という従来の概念はどこへ行ったのでしょう。社会人としての「自己責任」は育成されていないのでしょうか?
 教員稼業しか知らない小生如き凡人が偉そうなことは言えません。しかし、一朝一夕に「大学生」にはならないことを考えれば、それまでの教育機関の指導というのは大変重要になってくることだけは納得していただけるでしょう。ホンの数年間で、大学というわが国最高学府機関が、その権威を失墜させたのではありません。幼児教育から始まって、小中学校の義務教育と高校教育という「生誕18年間」の集大成として進学するのが大学だと認識すれば、大学までの道程に「教育者として関わる教師集団」の意識にも反省の余地があることは誰もが疑いません。
 アダルトチルドレンと言う文言が流行して早や30年間。その時代に誕生した子ども達はもう30歳となります。恐ろしいほどに迫り来る「負の再生産」となっています。どこまで、日本という国家は墜落していくのでしょうか。新聞記事に目を通しながら哀しくなっている朝です。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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