~孫の寝顔で「親業」反省~
昨日の正午前。
東京駅で「引き取り」(笑)を済ませて、東海道線で茅ヶ崎駅へ。孫二人の「師走の豆台風」がやって来ました。老夫婦のいつものゆったりとした時間の流れが急変しました。5歳と9歳の姉弟だけで、親元を離れて母親の実家にやって来るようになって2シーズンが経ちます。夏と冬の長期休業中の年中行事となっています。訪問の度に「成長する」人間の生き様を垣間見ることに自省の念が走ります。今冬も、昨夜、孫達が眠った後の「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの対話」の主流は、子育て時代の親業の反省ばかりでした。「火中の栗を拾う」状況下での親業。親になった息子や娘の言動を観るにつけ、自省の念は止むところを知りません。
「子育ては失敗ばかり。人間は親による子育ての失敗作品。・・・」
これは、子育て講演会等の講師をお引き受けする場合の自己暗示の台詞となりました。失敗作の代表が己であることを意識しつつ、(自己弁護ではない)我が子育ての至らなかったことをストレートに表現したまでなのですが、どこの会場でも聴講者の皆さんに妙に受ける言葉になってしまいました。
親だけで子どもを育てる?
それは親という未熟な人間の傲慢とも言える「子どもの私物化」なのです。おむつパンツが必要だった孫息子が、いつの間にか「お祖母ちゃん、もう、パンツおむつじゃないよ」と言い出した夜は、祖父母にとっては心から幼児の成長を確認できるのです。たったそれだけのことで?と母親が叫びそうな光景が浮かんできます。そうだよ!「たったそれだけのこと」の積み重ねが成長を司るんだよ!!たったそれだけのことが出来ないまま、おとなになってしまったらとんでも無いことになるんだぞ・・・・。とは、祖父ちゃんのアドバイスの一言です。
5歳になった孫が幼稚園教育で学んでいることが(渦中の親には見えなくとも)祖父母には感動するばかりに見えて、しかも十分に理解できるのです。
寝顔を覗き込むと、瞼が熱くなります。
それは、三人のわが子達への親としての懺悔です。霧中の中で「葛藤との闘で子育て」をしていた若き親業の日々が浮かんでくるからです。祖父母と絡みがあれば、もう少し手も、息も抜けて子育てが出来ただろうに、と反省しているのです。わが子の祖父母は遠い九州の地でした。典型的な核家族社会での家庭教育だったからです。
しかしながら、幸せにも地域にも恵まれ、叱っていただいたり感激を共有していただいた隣近所の方々と、先生や友人にも恵まれていました。第三者の教育力をふんだんに戴いてわが子達は成長してくれました。感謝・感謝の人生は今も続いているようです。
「おはようございます」と起きてきた二人の「宿泊人」との、今日の一日が始まりました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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