
朝刊の記事に目が留まった。
寒気が厳しければ厳しいほど、そこで精進する人の身中奥深くに飛躍の種が宿る。この文章の下りに目を投じながら、「そんなこと言ったって・・・、この辛さから何が産まれるんだい!」と反発した若き日々が浮かんでくる。師たるオトナの信念が「練習する・稽古する」過程の重要性をイヤと言うほど押しつけてきたあの日々。師を恨んだ。師を憎んだ。オトナのエゴだと誤解をした。そんな日々が・・・。
そして、教員になった。呼び名には「師」が付いた。教師である。
そして、教壇に立った。グランドにも立った。「師としての」信念の欠片もない若輩の教師は、もっともらしく指導に勤しんだ。生徒達の反発を喰らった。選手達の抵抗にめげそうにもなった。気が付けば、厳しかった「冬の時代」が、晩年の教師像を形作ってくれたことに感謝をしたくなる齢になっている。
どんな厳しい冬も、必ず春に近づいていく。
そんな、歌の文句のようなきれい事ではなかった。指導する方も、される方も・・・・・。今日はそんな厳しさと「闘い始め」の日だそう。
ふと一昨日再会した野球部員達との格闘の日々が、また蘇ってきた。時効になってしまった(笑)未熟な「師」の指導には自省は今日も続いている。
きれい事は言うまい。しかし、考えてみる余地はありそうだ。そんな「寒の入り」の夕暮れである。年賀状の返信を投函した帰り道、「寒いですね~」と交わした隣人との挨拶の言葉が符合した。
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