2011/01/06

「寒の入り」に思う

 ~鳥取地方の豪雪に思いを馳せながら~
 朝刊の記事に目が留まった。
 寒気が厳しければ厳しいほど、そこで精進する人の身中奥深くに飛躍の種が宿る。この文章の下りに目を投じながら、「そんなこと言ったって・・・、この辛さから何が産まれるんだい!」と反発した若き日々が浮かんでくる。師たるオトナの信念が「練習する・稽古する」過程の重要性をイヤと言うほど押しつけてきたあの日々。師を恨んだ。師を憎んだ。オトナのエゴだと誤解をした。そんな日々が・・・。
 そして、教員になった。呼び名には「師」が付いた。教師である。
 そして、教壇に立った。グランドにも立った。「師としての」信念の欠片もない若輩の教師は、もっともらしく指導に勤しんだ。生徒達の反発を喰らった。選手達の抵抗にめげそうにもなった。気が付けば、厳しかった「冬の時代」が、晩年の教師像を形作ってくれたことに感謝をしたくなる齢になっている。
 どんな厳しい冬も、必ず春に近づいていく。
 そんな、歌の文句のようなきれい事ではなかった。指導する方も、される方も・・・・・。今日はそんな厳しさと「闘い始め」の日だそう。
 ふと一昨日再会した野球部員達との格闘の日々が、また蘇ってきた。時効になってしまった(笑)未熟な「師」の指導には自省は今日も続いている。
 きれい事は言うまい。しかし、考えてみる余地はありそうだ。そんな「寒の入り」の夕暮れである。年賀状の返信を投函した帰り道、「寒いですね~」と交わした隣人との挨拶の言葉が符合した。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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