2011/01/28

今日は「英語を喋ろう」かな?

 ~研究会開催の意義を求めて~
 今日は2年間の指導を集大成すべき「発表会」。
 研究は「小学校英語教育」というジャンルである。そもそも講師としての指名は「元・中学校英語科教員」という過去の業績が功を奏したのである(笑)、のだろう。当時の研究主任の独断と偏見(?)からの決定であったような朧気な記憶が蘇っている朝である。
 ご指名の理由はいずれにせよ、ほぼ1ヶ月に1度の割合で訪問指導を続けた小学校である。
 国(文科省)も乱暴な事をするモンだ!とは現職の小学校長時代からこの事業に関しては強く思い続けていた。その憤懣も「指導への生ぬるさ」に伝わったのだろう。英語教育とは全く無縁な世界である小学校に、「いきなり英語の授業をしなさい」となり、それを徹底指導をすることに躊躇したのは嘘ではない。
 任を果たす・・・という大前提で研究校には通うのであるが、専門家であるが故の悩みが先行してしまい思うような進展は殆ど感知出来ずに1年間が空しく流れ去ってしまった。しかし、「日本の先生達」という集団は凄い!世界中の先生達を知っているわけではないので偉そうに断言するのは危険だろうが、敢えてそう発言したくなる。それは、研究の指定を負った小学校のどの現場でも必死な形相を見ることが出来るからである。ご多分に漏れず本校の教員集団もそうであった。他校にも伺って英語の授業の「上手・下手」の評価を下すという判断基準からではないことだけは特筆したい。取り分け、本校は指定研究を受けている学校ではない。自主研究校であることがまた素晴らしい。「何とかやり抜こう」という集団の勢いがこちらにも伝わってきたからである。
 だからと言って、決して十分に満足などしているわけではない。しかしながら、現時点(本格実施前の2年間)での取り組みには及第点を上げても異論はあるまい。
 今日の発表が来年度への「始発点」である。
 全学年が「英語指導」に取り組んでいる体制が何といっても素晴らしい。該当学年(国段階では5~6年生)だけの担任が苦慮する低次元ではない。つまり、誰が該当学年を担当しようがそれは問題ではない。全校体制の研究が素晴らしい。写真版のメールは研究主任が年の瀬に実施した最後の公開授業を終えて送ってくれたメッセージである。届けられた完成した冊子には研究主任が作成した『校内研(究)通信』が全て綴じ込まれている。一瞥に価するシロモノである。
 研究発表会の参加者数を気にする主催者が多い。それは本末転倒である。参加者のための研究会であってはならない。研究会は「当事者が一番得する機会」であることを再認識して欲しいモノである。そんな豊かな期待(感情)をひっさげて(笑)、午後の本番に臨みたいとウキウキしているところである。
このブログを認めている時間に、今、校長先生から「今日はよろしくお願いします」との挨拶の電話が飛び込んできた。行ってまいります!!
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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