2011/01/17

あの日・あの時

1995年1月17日 午前5時46分
阪神淡路大震災
 妻と一緒に真っ暗な朝の道を「歩く」日課中でした。
 家を出る時点(6時)、ラジオからは神戸に地震が発生したニュースを聞いたのですが、「歩いている間」の夫婦の対話にも取り上げることなく1時間ばかりして帰宅しました。何気なく妻がテレビのスイッチを入れ画面を見た瞬間、「わぁ~、大変なことになっていますよ!・・・」と大声を上げました。普段から感情を大袈裟に表に出さない妻です。大声に驚いてテレビの画面を覗いて「ただごと」では無いことに足下が竦んでしまったことを思い出しています。
 16年前の今日。
 当時は茅ヶ崎市教委の課長席が勤務場所。市内の校長先生方もチームを組んで神戸に向かわれました。想像を絶する被災状況に心は痛むばかりでしたが、何一つ出来ない「個の無力さ」を実感した日々でした。その後、校長として赴任した小学校に被災した女児が転校してきました。叔母の家に疎開してきたとのことでした。「何が辛いですか?」の問いに、彼女が小さな声で「思い出しても哀しいのに、皆が、どうだったの?と訊くこと」と応えのには凡庸な校長も心が痛み、堪えました。
 2001年に最後の勤務校に着任しました。そこに採用された初任者が神戸出身者で、高校時代に被災したとの自己紹介を聴いて歳月の流れを感じたことも今思い出しています。
 今朝のラジオでは、「震災を知らない子供達」に被災の厳しさを伝える事業が発足するとのニュースを伝えています。「戦争を知らない子」で育った小生も、あと数年で70歳になります。歳月はやっぱり人の営みを待っていてはくれませんね。日々の雑事に追われて過ごしている内に・・・・。
 そんな朝。
 日本列島では太平洋側にも大雪だそうです。異常な寒波だそうです。愛知県の知人からは大雪警報が出て今日の学校が心配だとメールが届きました。大自然も本格的に狂いだしたのでしょうか?大自然の前では人間など小さな小さな存在なんでしょうね。自然災害から、電気が使えない事態にでもなったら、便利社会の現代生活はどうなるのでしょうか?
 そんなことを考えていると、今、ラジオから追悼番組が始まりました。心からご冥福を祈ります。

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー