~明日は『新春教育講演会』~
亡き友人が、「爪木崎の水仙を愛でに行きましょうか」、囁いた。
場所も知らなかった小生は、「どこにあるの?」と訊いた。熱海からなら直ぐ行けますよ、と笑って答えてくれた。そんな話題で開設した「新春教育講演会」も第9回目となる。
今日の昼間のこと。
NHKテレビの画面に釘付けになった。主演者は立川談春という落語家であった。恥ずかしい話ながら認知していない。ただ今ブレイク中の落語の様である。落語家・立川談志師匠のお弟子さんのようだ。話題と表情に、流石のテレビ嫌いも引きつけられてしまった。「好きな人が出来たら命懸けで尽くせ」という談志師匠の教えを守っていると言う。だから「好きになった人」には夢中になってしまう、という談春氏の言葉に不器用だが「裏表のない」人柄と察する。そんな落語家を小生も「好きになってしまった」のである。氏は「さだまさし」と言う歌手が大好きだそうだ。テレビ画面にその歌手も登場した。談春に向かってストレートに忠告をするさだまさし氏の言葉にも引きつけられてしまう。もともとが「好きな歌手」であったので当然である。
最後に師匠が手紙に託した「ことば」をアナウンサーが代読(?)した。その間に、額から発する汗に弟子・談春が「好きな人」(談志師匠)への熱い思いが伝わってきた。師弟愛の素晴らしさを感動と感激で見終えて、小生も汗をかいてしまった。
午後になって外を歩いた。水仙の花が日溜まりですっかり「我が世の到来」を直訴している。
水仙を見に行こうと誘ってくれた友人はもういないが、無理して(=命懸け?)でも伊豆半島(爪木崎)に行っておけが心残りなど無かったかも知れない。本当に好きな友人ではなかったのだろうか。そんな後悔をしながら、ふと考えてしまった。その友人の死から5年が過ぎようとしている。
もう、こんな時期か?と自問しながらもタイミング良く素晴らしい話題を拝聴できたことが嬉しい。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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