
2校しか経験していない小学校での勤務です。
この2枚の年賀状の送り主達とは、それぞれの勤務校で出会いました。いずれも「臨時的任用教員」という正規の教員ではありませんでした。つまり、教員採用試験に向けて受験体制を取りながら働いていたのが彼らです。教員への道の滑走路という人生の途上での出会いです。
特段の指導をしたという記憶はありませんが、正規の教員になってからもこうして毎年年賀状が届きます。今では、第一線から身を引いた老輩には直接の接触はありません。しかし、「我が家」の近況をこうして知らせて貰えば嬉しいことは間違いありません。
教員仲間の子息であった大輔さん。小生の講演先で知り合った校長先生の紹介で勤務校を訪問してくれたのがキッカケとなった浩之さん。出会いの偶然はこんなにも違います。しかし、出会ってみたら、まるで「会うのが必然」と思えるほどの交際になるモノです。浩之さんは同じ境遇にある女性友達も紹介してくれました。彼女(直子さん)が奥様になりました。教員採用試験に合格してバリバリと働くようになった頃には小生は定年退職でした。世代交代だったということでしょう。
大輔さんのお母さんとは同郷です。年齢も殆ど変わりません。同一市内で教員をしていても校種が違うと全くと言って良いほど接触はありません。偶然の悪戯は、校長と臨時任用教員との出会いで同郷と言うことが正式にわかるのですから「ご縁」を感じました。忘れもしないのは、当時から採用試験に採り入れられた「模擬授業」の対策を講じたことです。懸命に挑戦する大輔さんに向かって非情な指導を入れて落ち込んでしまった大輔さんの姿が浮かんできました。結婚式にご招待を受けて、改めて「同郷人」としての親しみを込めてお母さんにご挨拶をすることが出来ました。
こうして、正規の教員として教壇に立つ後輩に年賀状で再会するのもまた格別です。
「お父さん・お母さん」になった彼らに一言・・・・・。それは、「人の親」になって初めて「教育する」人としての意識が高揚するはずです。つまり、「子を持って知る親の恩」という古諺を深く認識して、教員採用試験で苦労した「滑走路時代」を忘れることなく、日夜、教師としての自覚を全身に纏って教師道に邁進して欲しい。今年も頑張ってください。
0 件のコメント:
コメントを投稿