2011/01/20

年賀状を考察する ⑥

 ~「教員の道」への滑走路で会って・・~
 2校しか経験していない小学校での勤務です。
 この2枚の年賀状の送り主達とは、それぞれの勤務校で出会いました。いずれも「臨時的任用教員」という正規の教員ではありませんでした。つまり、教員採用試験に向けて受験体制を取りながら働いていたのが彼らです。教員への道の滑走路という人生の途上での出会いです。
 特段の指導をしたという記憶はありませんが、正規の教員になってからもこうして毎年年賀状が届きます。今では、第一線から身を引いた老輩には直接の接触はありません。しかし、「我が家」の近況をこうして知らせて貰えば嬉しいことは間違いありません。
 教員仲間の子息であった大輔さん。小生の講演先で知り合った校長先生の紹介で勤務校を訪問してくれたのがキッカケとなった浩之さん。出会いの偶然はこんなにも違います。しかし、出会ってみたら、まるで「会うのが必然」と思えるほどの交際になるモノです。浩之さんは同じ境遇にある女性友達も紹介してくれました。彼女(直子さん)が奥様になりました。教員採用試験に合格してバリバリと働くようになった頃には小生は定年退職でした。世代交代だったということでしょう。
 大輔さんのお母さんとは同郷です。年齢も殆ど変わりません。同一市内で教員をしていても校種が違うと全くと言って良いほど接触はありません。偶然の悪戯は、校長と臨時任用教員との出会いで同郷と言うことが正式にわかるのですから「ご縁」を感じました。忘れもしないのは、当時から採用試験に採り入れられた「模擬授業」の対策を講じたことです。懸命に挑戦する大輔さんに向かって非情な指導を入れて落ち込んでしまった大輔さんの姿が浮かんできました。結婚式にご招待を受けて、改めて「同郷人」としての親しみを込めてお母さんにご挨拶をすることが出来ました。
 こうして、正規の教員として教壇に立つ後輩に年賀状で再会するのもまた格別です。
 「お父さん・お母さん」になった彼らに一言・・・・・。それは、「人の親」になって初めて「教育する」人としての意識が高揚するはずです。つまり、「子を持って知る親の恩」という古諺を深く認識して、教員採用試験で苦労した「滑走路時代」を忘れることなく、日夜、教師としての自覚を全身に纏って教師道に邁進して欲しい。今年も頑張ってください。

 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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