
今年いただいた年賀状を本ブログで紹介しました。
個人情報が飛び出して差出人にご迷惑をお掛けしてはいけないと、随分気を遣いました。登載した年賀状の差出人には承諾も得ていませんし、掲載のお知らせもしておりません。まだ、ご本人からの反応は届いていませんので半ば心配でもあります。読者の皆さんからは沢山の反応を頂戴しています。
取り分け、苦学生だった小生の「恩人」として取り上げたご一家の話題には様々なご感想が届きました。先日の、熱海・ホテルで開催した新春教育講演会では、師匠と仰ぐ元・上司の年賀状を話題に取り上げさせていただきました。ご参会の方々からは、その補助資料として読み上げた新聞記事(上・写真版)への反響が強かったように感じています。参加者の数名からは、初めて聞いた「ことば」として感想が届いています。実は、小生も長い間「恩返し」という表現で人生の機微として大事にしてきましたが、井上ひさし氏のこの表現を知って驚きつつ納得してしまいました。
年賀状こそ(他界されたので)届きませんが、小生には「特上の恩人」がいらっしゃるのです。その方からは大学生だった若き小生には人生哲学となるようなお言葉を頂いていました。「恩返しは、受けた人にするものではない。恩を感じた分だけ次代の人にお返しすべきである」と。この教えは今でも小生の人生そのものとして君臨している言葉として大事にさせてもらっています。この恩人の御言葉こそが『恩送り』そのものだと確信しているのです。
人を育てる。人を変える。
小生如き未熟者が、こんな言葉を発すると、仰々しい表現で偉そうに感じ取られるでしょう。当の本人は『恩送り』の真似事として次世代の人たちに接しているだけのことなのです。言葉では言い表されないほどの「恩義」を感じているからなのです。恩義ある多くの先輩諸兄への「恩返し」は、今となっては『恩送り』しか術はないのです。小生のちっちゃな器量では『恩送り』などと大袈裟なことも出来ませんが、自分なりに納得がいくように工夫を乍ら、日々心して接していることだけは事実です。
講演活動も本格始動となる今週辺りから、『恩送り』の真似事に今年も挑むことにします。
今日から広島市に移動します。行ってまいります!
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