
この年賀状の送付者との関係は、と問われたら躊躇はするものの敢えて『師弟関係』と表現しましょうかね。弟子を取る程の師匠でも無いのですが、送付者が、小生のことを師匠と呼ぶのでご了解願いたい。出会った時点では、弟子は小学校の教頭職。校長を退職したばかりの師匠は、弟子の勤務する小学校へ(当時の校長先生の熱心な要請で)授業研究会の講師として通い始めたばかりでした。老父母の介護のために、校長職を1年早めて辞した小生は故郷の熊本に帰って行ったばかりの時点での要請だったので、当時は熊本~広島間の通いとなっていました。
「人事異動の妙」とは、巧く表現した名句です。広島市は政令都市ですから人事は単独ですが、彼は県内の他市から「人事交流として」の移動で赴任してばかりの教頭先生でした。同一県内と言えども「所変われば品変わる」の例え通りに大きなカルチャーショックを受けて、管理職としても「地団駄を踏む」思いの日々だった頃ではないでしょうか。そんな日々の出会いです。
前置きが長くなりました。
学校経営に関する「思考の観点」を、機会ある毎に話しました。鋭い質問も浴びました。理論では経営が出来ないことは、学校経営者の視点から駄弁を労しつつも語ったような記憶があります。登載した写真版が年賀状ではありません。彼の所に届いた年賀状への、「現職としての考察」を加えて、メールで伝えてきたモノです。この写真版はその一部分です。
鋭い視点に満足です。それは下の箇所です。
よくわかったようで実はよくわからない美辞だなぁと思いました。
この部分に気付いた弟子に拍手を送りましょう。なぜならば、「褒められているにもかかわらず、悩んだ年賀状」として締めくくっている表現で、大きな成長を感じるからです。小生も「子どもの目線」という業界用語の「きれいな表現」がとても嫌いなのです。きれい事では教育はできないからです。20年間以上モノ時間の経過にズレがある「生き様」感覚(教員が)で、現時点での「子どもの目線」を活かしきって授業を展開している教員はどの位いるのだろうか、と考えるからです。
十分に理解して、その理解の上で教材を発掘して、目の前の子どもの力量を加味しながら工夫して授業を提供する教師が存在することも知っています。しかし、ホンの少数です。そうあって欲しいと心底から願っている師匠としては我が意を得たりという心境になります。この視点から考察できる現職に辿り着いた弟子は、もう弟子ではなくなりました(笑)。
園長(校長)として、更に成長されることを確約しましょう。いずれは、その経営ぶりを覗きに出向いて「再会できる」日が訪れることでしょう。弟子の成長を噛み締めている至福の朝です。
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