2011/01/07

年賀状を考察する ①

 ~「悩んだ年賀状?」から~
 この年賀状の送付者との関係は、と問われたら躊躇はするものの敢えて『師弟関係』と表現しましょうかね。弟子を取る程の師匠でも無いのですが、送付者が、小生のことを師匠と呼ぶのでご了解願いたい。出会った時点では、弟子は小学校の教頭職。校長を退職したばかりの師匠は、弟子の勤務する小学校へ(当時の校長先生の熱心な要請で)授業研究会の講師として通い始めたばかりでした。老父母の介護のために、校長職を1年早めて辞した小生は故郷の熊本に帰って行ったばかりの時点での要請だったので、当時は熊本~広島間の通いとなっていました。
 「人事異動の妙」とは、巧く表現した名句です。広島市は政令都市ですから人事は単独ですが、彼は県内の他市から「人事交流として」の移動で赴任してばかりの教頭先生でした。同一県内と言えども「所変われば品変わる」の例え通りに大きなカルチャーショックを受けて、管理職としても「地団駄を踏む」思いの日々だった頃ではないでしょうか。そんな日々の出会いです。
 前置きが長くなりました。
 学校経営に関する「思考の観点」を、機会ある毎に話しました。鋭い質問も浴びました。理論では経営が出来ないことは、学校経営者の視点から駄弁を労しつつも語ったような記憶があります。登載した写真版が年賀状ではありません。彼の所に届いた年賀状への、「現職としての考察」を加えて、メールで伝えてきたモノです。この写真版はその一部分です。
 鋭い視点に満足です。それは下の箇所です。
 よくわかったようで実はよくわからない美辞だなぁと思いました。
 この部分に気付いた弟子に拍手を送りましょう。なぜならば、「褒められているにもかかわらず、悩んだ年賀状」として締めくくっている表現で、大きな成長を感じるからです。小生も「子どもの目線」という業界用語の「きれいな表現」がとても嫌いなのです。きれい事では教育はできないからです。20年間以上モノ時間の経過にズレがある「生き様」感覚(教員が)で、現時点での「子どもの目線」を活かしきって授業を展開している教員はどの位いるのだろうか、と考えるからです。
 十分に理解して、その理解の上で教材を発掘して、目の前の子どもの力量を加味しながら工夫して授業を提供する教師が存在することも知っています。しかし、ホンの少数です。そうあって欲しいと心底から願っている師匠としては我が意を得たりという心境になります。この視点から考察できる現職に辿り着いた弟子は、もう弟子ではなくなりました(笑)。
 園長(校長)として、更に成長されることを確約しましょう。いずれは、その経営ぶりを覗きに出向いて「再会できる」日が訪れることでしょう。弟子の成長を噛み締めている至福の朝です。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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