
市外転勤をして中学3年生の姉の担任となった小生に人なつっこく声を掛けてきた女生徒。
家庭訪問で両親と話をしていると小学1年生になると言う弟(=明くん)が、ちょこんと小生の膝の上に乗って来た。そしてニコニコしていた。奥の部屋からは誕生したばかりの赤ん坊の泣き声も時々聞こえた。ご両親も恐縮されて止めようとされたが当の本人は全く無視。そのまま訪問の務めを終えて学校に戻った。翌日からは、姉である生徒との話題は「明くん」。上手に繋いでくれた。前担任とはそりが合わず母親も悩んでおられたとの話も思い出しながら、楽しい対話が出来たのも「明くん」の存在だったようだ。その後、機会ある毎に母親とも話が出来た。反抗期の気むずかしさに苦労していると言う母親ではあったが、急に明るくなった姉に安堵しているとのお手紙も届いた。新担任としてもホッとした。
彼女が高校生になった。確かな年月日は記憶にないが母親が亡くなったという情報を得た。赤ん坊も未だ小さい。父親は再婚されたらしい。そんな情報を得つつも遠くから心配していただけだった。月日が流れて小生は茅ヶ崎市教委の指導主事になっていた。ある中学校への計画訪問は業務の一環であった。訪問先の校長先生から、「角田先生に会いたいというお客様があります」と紹介された男性があった。「総合的な学習の時間」の特別講師として数名の関係者の一人だった。海外青年協力隊(名称は定かではない)の隊員としての名刺を貰った。そして、「先生、覚えてはいらっしゃらないでしょうね」と名乗った青年を見詰めながら、遠い記憶が蘇ってきた。あの当時の「明くん」ではないか。
その後のご家族の変遷ぶりも聴くことが出来た。
歳月の流れを紐解きながら、「相変わらず姉が母親代わりです」と話をした。お姉さんとは同窓会で会っている。弟は「中学校の英語教師」を目指しているとは聴いていたので、話題をそこに振ってみるとその通りだと言う。他県の教員採用試験を受験をしているとの返答を貰ったままその日は別れた。
数年後音信は無かった。時々思い出しては心配していたが「明くん」は九州の地(小生の故郷)で「中学校の英語教師」になっていたことが年賀状で知らされた。そして、更に数年後、結婚したとの年賀状が届いた。そして、昨年の4月に勤務地の市教委で指導主事に抜擢されたという異動を知らせる葉書が届いた。
お姉さんと弟。母親代わりを務める姉の担任として家庭訪問で会っただけの弟。
そんな小さな運命の糸での繋がりが今でも続いている関係。やっぱり教師冥利に尽きることなのか。今年も二人から年賀状が届いている。お母さんの分まで懸命に生きている姉弟にエールを贈りたい。
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