~テレビは嫌いですか?~
これは良く受ける質問の一つです。
応えに窮するほどの質問ではないのですが、応えが通じたかどうかを案じることがあります。それは「嫌いではない」のですが「好きではない」からなのです。
今朝の新聞「意見広告」という欄に目が行きました。卵は高いの?と問われた関係者は「決して高くない」と資料を添付して反論しているのでしょうか。では、安いの?と追求されれば「安くはないでしょうが、高くはない」との言及に落ち着くのでしょうね。
そこで、小生への質問に移動しましょう。
講演会場では、推薦本を紹介することが多いのです。読んだ本や月刊誌などを話材にしてお話しすることも多く、半面、「愚かなTV番組」をその対照にすることも多いのです。だから、テレビを嫌いな人種として判断なさって質問を浴びることになるのだと理解しています。
決してテレビは嫌いではないのです。
ドキュメンタリー番組に釘付けになって、気が付いたら涙を流していることもあります。ただ、「世間話し」風の、「何でもあり」的な話題で構成され、根拠もなく場当たり的にコメントする画面を垣間見るだけで「バカじゃないか!」と憤怒することが多いことも事実です。大した業績もないとは言え、教育界だけでしか生きていない小生にとって、その部分での現場と現状を知らずして意見らしき考えを最もらしく発言されると、その番組政策担当者の品位を疑ってしまうわけです。
衝撃が感動を突き破るような番組には感謝の気持ちで「居ながらにしてこんな感動を・・・」と嬉しくなる瞬間となります。敢えて「テレビは嫌いではない」と神妙な気分にもなると言うことです。
外に出ることの多い亭主に、妻は「録画して」おいてくれる番組もあります。当たりはずれもありますが、そこには「テレビを嫌う」亭主はいない、と言う証になりませんか?朝刊を見ながら、ふとそんな考えが過ぎりましたのでご紹介しました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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