2011/01/08

年賀状を考察する ②

 ~七草粥を食しつつ~
 尊敬する大先輩からの年賀状を改めて読み直す(上・写真=左)。
 飛び込んでくる活字の重さが、20年も前になってしまっている日々と一緒に脳裏を刺激的に駆け巡る。
 小生43歳の春。学校教育現場から離れて行政への勤務となる。場違いと感じる「気後れ」が躊躇いを増幅させ、戸惑いの連続の中で新生活に飛び込んだ世界。そこで出会った素晴らしい「人物」が年賀状の差出人であった。と、表現できるまでに20年もの歳月が流れたと言っても過言ではあるまい。口にこそ出してはいない(ご本人もご存じではない)が、勝手に「師」として仰ぐ立派な大先輩であることも間違いない。
 年賀状の分析をする、なんて烏滸がましい。 しかし、当時の教育行政のトップとしての言動には、聴くモノ・見るモノ全てにカルチャーショックのような衝撃を受けた人物であることは事実である。こんな人がいらっしゃったのか!と。
 黒丸印の3つ目。
 将来の展望についても世界をみすえて・・・。語りかけていただいている言葉の一つ一つに身の引き締まる思いがする。師の世界観は幾たびか耳にした。しかし、当時の小生には「雲を掴む」ような思いで理解しがたい別世界の原理のように思うだけで、雲は風に流されて触る感覚すらなかった。
 これは小生が投函した年賀状への返信としていただいた年賀状である。それゆえに重い。
 影響とは恐ろしい。いつの間にか「理念と哲学」というフレーズをまるで自分の言葉のように濫用している自分に気付いている。本質を極めないままとは言え師の口癖のように発せられたフレーズである。小生の軽率な発言への戒めなのかも知れない。無責任な放談(講演ではない)への叱咤である。
 印象に残るお言葉は数知れない。ここで、読者諸兄と共有したい内容を★印にして2点だけ揚げておいた。強烈な印象は★印の最初の2行であった。新任校長として赴任するに当たって肝に銘じたのがこのお言葉である。「校長」という職名に向かって多くの人たちが「頭を垂れる」のであって、「角田明」個人には頭を下げているのではない、と。個人としての魅力と実力で「頭を下げていただける」人材にならなければいけない、と心したモノだった。しかし、結果は、師の思いとは全く掛け離れたままの教員人生を終えてしまった。ご期待に添えなかった後悔の念は今朝も消えていない。
 来週から、そろそろ仕事(講演)開始である。
 師の年賀状を心に刻んで登壇することにしよう。今までは仕方なく食していた七草がゆが、とても美味しく感じるほどの(胃腸)年齢に、(恩返しも何一つ出来ないままに)、なってしまったようである。恩返しの真似事にならないが、本格的に始動することにしよう!
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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