尊敬する大先輩からの年賀状を改めて読み直す(上・写真=左)。
飛び込んでくる活字の重さが、20年も前になってしまっている日々と一緒に脳裏を刺激的に駆け巡る。
小生43歳の春。学校教育現場から離れて行政への勤務となる。場違いと感じる「気後れ」が躊躇いを増幅させ、戸惑いの連続の中で新生活に飛び込んだ世界。そこで出会った素晴らしい「人物」が年賀状の差出人であった。と、表現できるまでに20年もの歳月が流れたと言っても過言ではあるまい。口にこそ出してはいない(ご本人もご存じではない)が、勝手に「師」として仰ぐ立派な大先輩であることも間違いない。
年賀状の分析をする、なんて烏滸がましい。 しかし、当時の教育行政のトップとしての言動には、聴くモノ・見るモノ全てにカルチャーショックのような衝撃を受けた人物であることは事実である。こんな人がいらっしゃったのか!と。
黒丸印の3つ目。
黒丸印の3つ目。
将来の展望についても世界をみすえて・・・。語りかけていただいている言葉の一つ一つに身の引き締まる思いがする。師の世界観は幾たびか耳にした。しかし、当時の小生には「雲を掴む」ような思いで理解しがたい別世界の原理のように思うだけで、雲は風に流されて触る感覚すらなかった。
これは小生が投函した年賀状への返信としていただいた年賀状である。それゆえに重い。
影響とは恐ろしい。いつの間にか「理念と哲学」というフレーズをまるで自分の言葉のように濫用している自分に気付いている。本質を極めないままとは言え師の口癖のように発せられたフレーズである。小生の軽率な発言への戒めなのかも知れない。無責任な放談(講演ではない)への叱咤である。
印象に残るお言葉は数知れない。ここで、読者諸兄と共有したい内容を★印にして2点だけ揚げておいた。強烈な印象は★印の最初の2行であった。新任校長として赴任するに当たって肝に銘じたのがこのお言葉である。「校長」という職名に向かって多くの人たちが「頭を垂れる」のであって、「角田明」個人には頭を下げているのではない、と。個人としての魅力と実力で「頭を下げていただける」人材にならなければいけない、と心したモノだった。しかし、結果は、師の思いとは全く掛け離れたままの教員人生を終えてしまった。ご期待に添えなかった後悔の念は今朝も消えていない。
来週から、そろそろ仕事(講演)開始である。
師の年賀状を心に刻んで登壇することにしよう。今までは仕方なく食していた七草がゆが、とても美味しく感じるほどの(胃腸)年齢に、(恩返しも何一つ出来ないままに)、なってしまったようである。恩返しの真似事にならないが、本格的に始動することにしよう!
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