~入学式当日はランドセル姿が・・~
黄色い帽子と新品のランドセルで飛び跳ねるような子供達の光景が見えない。
ランドセルが大きくて重すぎてひっくり返りそうになった長女の小学校入学式前夜の我が家を思い出した。小柄だった(今は大柄)長女は、祖父母に買って貰って喜んで背負ったランドセルが重すぎたのが立ち上がれなかった。笑うより心配が先行した「第一子」の入学だった。
近所に同級生が居なかったので近所の上級生の女の子がいたので連れて行ってもらって登校したようだった。それにしても、近年の「少子化」は意識しなくてもわかる程に少なくなっているようだ。同居する孫たちが通う小学校にも「登校班」があるらしいが、6年生がいないので5年生の孫が班長だそうだ。幸か不幸か?新入学児童もいないらしく班長を仰せつかった孫は「遣り甲斐が無いな」と嘯くのが現状である。
近所に新入学児童の姿を見ることができなくても、ちょっと足を延ばすとそれらしい雰囲気との出会いは沢山あるものだった。しかし、本当に子どもの数が減っているようだ。孫の通う小学校は単学級の超小規模校である。「いずれは統廃合の憂き目を見るのでは」、と嫁が心配しているのもわかるような気がする。
「子どもは国の宝」とは良く表現したモノだ。
『宝物』が少ない状態のままで進展して行って、国家はこれからどうなるのだろうか?祖父ちゃんの観点からすれば将来に憂いさえ感じる。我が家は、千葉に住む長女一家に今年新入学の第二子がいる。今日が入学式のようである。張り切ってスタートする孫(新入学児)が、元気で楽しい集団生活が出来ることを祈るばかりである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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