2012/04/15

世相に疎い人生を生きて来た!

~何かが変?~
 のど元過ぎれば熱さ忘れる、って、まさか!
 官僚や大臣の高学歴は誰も知っている事実ならば、その高学歴集団が発する方向性には誰もが納得づくで従えるモノである筈だろう。大震災の傷跡は物心両面から見ても充足されているとは誰も考えていない。しかも、今回は大きな二次災害が付随していて「国民の目線」等で終結する問題ではないことぐらいも誰もが危惧している。そこに、「政府」と言う名の指導機関から思いも寄らない方向性が打ち出された。世相に疎い人生を生きて来てしまった小生ですらも、首を傾げてしまった。何かが変ではありませんかね。
 ここ土浦市を通るJR本線は、宮城県仙台市までの道のりに「福島県」を通過する常磐線である。仕事でいわき市へ行った時も、この常磐線を走る特急電車に乗った。常磐線は終点まで全線開通していない。つまり、大震災の爪痕は未だ癒えずして、避難したままの住民の皆さんは避難所生活が1年になろうとしている。住み慣れた故郷を逃げるように去った住民の皆さんこそが、政府が護るべき「今の国民の皆さん」であって然り。福島県から遠く離れているとは言え、打撃を受けた根源を再稼働させる方向性を打ち出すとは「無神経」極まりないと思うほか言いようがない。
 手元に、講演依頼が届いている。
 依頼主は小学校のPTAである。講演内容の依頼に関してのメールの一部(会長の言葉)を借りると以下の本文である。

 先生の持っておられる引き出しの中から何でも!と言いたいのですが、最近私が感じている問題意識は、「コミュニケーションってなんでこんなに難しい??」ということです。
 相手への配慮に欠ける言葉を選んで口からでてしまったり、あるいは受け取る側の背景によってゆがんでとられてしまったり・・。「相手がどう受け取るだろう」「なんであの人はこうなのよ」・・。憶測やかんぐり、計算、思い込み、決め付け、こだわり、噂話、否定的なものの見方、自分の問題を人のせいにしてぶつけてしまう、打たれ弱く傷つきやすい・・。
「あ~~、めんどくせぇ~~!!」と叫んでしまいたくなる時があります。言葉を口にするのが怖くなります。

 文科省という国家機関が「コミュニケーション能力の育成」を学校現場に下ろしてもう20年以上が過ぎている。1つの機関の提唱ぐらいでは効果は少ない。国家全体の意識を統率する方向で進まなければコミュニケーション能力を培うことは不可能である。学校教育に委ねてしまうような権力意識であるから、今回のような優柔不断な結論が飛び出してしまうのである。この発信者である小学校のPTA会長には小学生のお子さんいる。子育てに懸命な親たちが全国にもたくさん存在する。その親世代が「相手への配慮に欠ける言葉を・・・」と悩んでおられる。この小学校だけの問題ではない。
 福島の痛みは世界全体の痛みである。
 その本家本元の我が国の中枢に「相手への配慮に欠ける」ようでは被害を受けた人たちは浮かべない。のど元過ぎても「熱さ」は忘れてはなるまい。能天気で世間知らずのこの老輩が、(ブログで体制非難をするほど)憤っているのだから賢い読者の皆さんならとっくに「怒り心頭」の状態だろうと推察できる。学校教育関係者も、より一層の努力が要求される。頑張っていただきたい!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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