わが長男が12月に誕生した時、祖父母である両親は即刻に注文したのが「武者人形」と「鯉のぼり」だったとか。親としてはそのような『玩具』は単なる散財としてしか眼中には無かった。そんな散財より生活費の工面が大変だった。誕生した長男は茅ヶ崎市で生きているが、「鯉のぼり」は祖父母の住む九州の空に羽ばたいていたことも今となればほのぼのとする人間模様である。ビッグサイズの鯉のぼりも長男の意識には殆ど存在していない。親ですらも無いのであれば「文化の伝承」は親世代では無く祖父母世代だと痛感するようになっている。これも、同居による副作用症状なのだろう(笑)。
アパートで誕生した孫にはベランダ「鯉のぼり」を買ってあげた。大事に持っていた長男夫婦が日曜日に、今年も外に出してきた。昨年は引っ越し騒ぎで孫の「鯉のぼり」に注目する余裕も無かったが、今年は違う。時間的なゆとりが出てきたのである。
保育園児の末の孫が出発寸前に鯉のぼりの下に走り寄る姿を発見した祖父ちゃんは、建て直しをして帰宅後の孫の喜ぶ顔を見たくなって古材を利して作り上げた(写真)。不器用極まりない祖父ちゃんでも「孫のため」には、なりふり構わず取り組むモンだと苦笑しながらも感心した。
今朝は6時には庭先に鯉のぼりを立てた。
母屋の雨戸が開くと孫の歓声も聞こえて来た。日本「文化を伝える番頭頭は祖父母である」という(自論)意識を再確認した朝である。
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