~ミニサイズの「鯉のぼり」~
わが長男が12月に誕生した時、祖父母である両親は即刻に注文したのが「武者人形」と「鯉のぼり」だったとか。親としてはそのような『玩具』は単なる散財としてしか眼中には無かった。そんな散財より生活費の工面が大変だった。誕生した長男は茅ヶ崎市で生きているが、「鯉のぼり」は祖父母の住む九州の空に羽ばたいていたことも今となればほのぼのとする人間模様である。ビッグサイズの鯉のぼりも長男の意識には殆ど存在していない。親ですらも無いのであれば「文化の伝承」は親世代では無く祖父母世代だと痛感するようになっている。これも、同居による副作用症状なのだろう(笑)。
アパートで誕生した孫にはベランダ「鯉のぼり」を買ってあげた。大事に持っていた長男夫婦が日曜日に、今年も外に出してきた。昨年は引っ越し騒ぎで孫の「鯉のぼり」に注目する余裕も無かったが、今年は違う。時間的なゆとりが出てきたのである。
保育園児の末の孫が出発寸前に鯉のぼりの下に走り寄る姿を発見した祖父ちゃんは、建て直しをして帰宅後の孫の喜ぶ顔を見たくなって古材を利して作り上げた(写真)。不器用極まりない祖父ちゃんでも「孫のため」には、なりふり構わず取り組むモンだと苦笑しながらも感心した。
今朝は6時には庭先に鯉のぼりを立てた。
母屋の雨戸が開くと孫の歓声も聞こえて来た。日本「文化を伝える番頭頭は祖父母である」という(自論)意識を再確認した朝である。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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