~「施設名称」も変更していた~
中学校の英語教員としてこの地に訪れたのが31年前のこと。
全国からの参加者の中に入って開講式を受けた思い出が蘇る。あの日以来30年余の歳月が流れる間に一度も訪れたことがない。それは、『つくば研究学園都市』(=当時は地名も〇〇郡▽▽町・・)の一角にあった。その当時の面影は建物自体には十分に残っていたが周囲の外観は100パーセントと表現しても過言ではないほどの変貌ぶりだった。地元の人の案内なので目的地に直行できたのだが、思い出を弄るために自らの運転で訪れたとしても通過してしまうほどのギャップにわが記憶を疑うほどであった。
正面玄関前の道路に車が止まった。
独立行政法人・・・名称が目に飛び込んできた。当時は国立教育会館・・・であったのだから、道路交差点の信号機の上の地名表示も恐らく別物として読み取って通過してしまっても決して不思議ではないだろう。正面玄関の佇まいを車の中から見つめ直すとその当時の記念撮影をした風景が蘇ってきた。ただ、30年間に成長した樹木の存在感が大きくて佇まいは大きく変容していた。
研究学園都市という名称だけあって、通過する町並みはまさにコンクリートジャングルになっている。都市計画上では、以前からの自然林等は十分に残されてはいるだろうが、1か月間缶詰め状態で研修した場所の空気は全く別環境になってしまっていた。
30年間と言う時空は途轍もない「変遷」を産むようだ。研修生として当地にやって来た時点で、小生の子ども達も全員が小学生だったのだから変遷には納得せざるを得まい。高層建築物も無く、筑波山が聳えて見えたのが今となれば懐かしい。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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