2012/04/11

4月の歳時記を実写しつつ

~『新』らしき姿に勝手な思い~
 詰襟の学生服のホックを外して「暑~い」と言っている男子高校生。襟章には地元の有名高等学校のバッジが輝いている(ように見えた)。私用を済ませて妻と一緒に電車の旅を繋いで帰路の常磐線に乗った。下車駅の一つ手前の大都市の駅を電車発車した時の光景である。昔取った杵柄?高校生の服装と態度は妙に目に飛び込んでくる。転居して丁度1年が過ぎた今、ご当地の「一流高校」と言われている高校は自然に情報として脳裏に刻んでいるのだから職業病は未だ健在(笑)。
 降車駅の改札口を出ると「今ならでは」の光景と遭遇するのも全国共通である。
 先着した新・高校生がたむろしている。そこに到着した新・高校生が「きゃぁ~、〇〇ちゃ~ん、おひさ(=久しぶりの意味らしい)」と抱き合う。地元の中学校の同窓生だろう。進学先が違うので入学式を終えた制服で再会を懐かしがっているようだ。しかし、いつも怪訝な視線になるのが構内に座り込んでいる高校生の群れである。しかも、スカートを穿いたままの姿勢である。「恥じらいの乙女」姿を追う小生は、正真正銘の昔の爺である。買って貰った制服は、まだ数日間しか穿いていないだろうに!と時として腹立たしくもなる。思わず心中で「税金の無駄遣いだな」と嘯いてしまう。それは高校3年間の学びを危惧しての老婆心からである。
 リクルートスーツ(と言うのかな?)は黒色に統一されているようだ。腕も千切れそうな大きなバッグを2個も持った3~4人の新入社員姿は都内・山手線の車中で多くを見た。小集団はいずれも無口で緊張感が漂う。乗降駅はバラバラではあるが、都心部を走る車内も郊外の駅を乗降するその類の軍団も大差は無い。高校生のような緩慢さは全くない。厳しい就職活動(今は「就活」という現代用語の代表)の先に掴んだ社会人としての意識が表出しているからだろう。又しても老婆心が先行する。社会の厳しさに潰されるのではないかと案じてしまい、思わず心中で「頑張れよ!」と叫んでしまう。
 ランドセルがきらきら輝く都内の有名私立学校(らしい)の小学生の姿を発見した。母親らしい女性と手を繋いで車中に入り込んできた。特急電サで約30分ばかりの乗車で降りて行った。その間、一言の会話も無かった。7歳の女児が30分間立ったままで、しかも母親に甘える素振りも全くなく下車していく姿を追いながら、これから6年間の無事の通学を祈ってしまう。「お友達と道草をしながら帰宅できる進路(地元の小学校入学)でも決して人生に遅れは無いと思うけどね、お祖父ちゃんは」と、我が孫たちとオーバーラップさせながら呟いてしまった。余計なお世話かな?
 加齢症候群には歳時記が似合う(笑)。
 様々な光景と遭遇すると、あの時はこうだった!と懐古する。そんな風景を老脳に実写するのは、片道2時間半の電車の旅(=鍼診療日)を満喫するための処方箋である。時は「4月」。入学・就職の始発時点である。一言も交わす言葉など無いのに映る光景で想像力が勝手に稼働する。そして、老脳に血液が巡って瞼を閉じると走馬灯が回転する。
視線の先で演技をしていただいたピカピカの「新・人類」の皆さん、ありがとう。お陰様で退屈することなく小さな旅を満喫できました。皆さんのこれからが健康で奮闘出来ることを心より祈っております。措辞ながらお礼まで。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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