~生態系の変容でチョウも滅ぶ~
自らの関心領域ではないので今までは全く頓着をしたことがない。関心が無い、では済まされないと考えながら、ラジオから流れる日本チョウ類保全協会理事の話の内容に耳が傾いてしまった。木炭一つを例に挙げて説明されただけで山林の生態系の変貌ぶりが理解できた。木炭がガスや電気に移行されただけの現実面を直視してみただけでもゾッとする。
以前、童謡の変遷に興味があって少々研究した(?)ことがあった。それが「お山の杉の子」という童謡である。国の指導の下で全山に杉の苗を植え付けて植樹推進に取り組んだ。40年も経つと立派な大木に育った杉山が全国あちこちに誕生した。これは、歌詞にもあるが「お国のために」取り組んだ植樹であった。それから20年も経つと植えた樹木から花粉症なる現代病が発生した。
ブナやコナラという実のなる木を刈り倒して杉に換えてしまった植樹は人間に花粉症をもたらしただけでは収まらない。木の実は、森に生息する小動物の貴重な餌であるそうだ。餌が無くなれば生きるために動物の死にもの狂いになるだろう。自然科学分野に興味の無い小生でも理解できるプロセスである。餌を求めて人里まで降りてくる動物たちに言い分を聴いてみることが出来ないのが残念だ。
そして、今日の話題の『ヒメギフチョウ』という蝶もラジオで初めて知った。
絶滅種に指定されるほどの危機に瀕していると専門家が語る。現状を理解した地元の小学校が地域ぐるみで20年間保護に取り組んでいるとの報告を聞いた。素晴らしい実践に教師集団の細やかな意識の素晴らしさを感じ取った。
生態系の変容は、人間様の利己主義が追求した副産物なのだろう。自身への反省は当然ながら、真剣に考え直さなければならない時期が少々手遅れ状態だと無関心派の小生にも理解できる。
たかがチョウ。
いや、そのチョウが人間生活の横暴に因って絶滅まで追い込まれているようでは自然界運命共同体の最高責任者として申し訳ないではないか。ネットで登場したチョウを調べてみると「きれいだ!」と唸ってしまうほどの自然美である。絶滅なんて勿体ない!!
※今日から千葉県に住む長女宅に行って来ます。小学校に入学した孫のランドセル姿を見に行きます。宿泊しますので当ブログは明日は休刊です。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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