2012/04/27

『対話』の無い用務

~「コミュニケーション能力」って?~
 ただ今!!小雨だったので車で近所のコンビニまで行って来ました。
 一言の対話もせずに用務を済ませることが出来ました。プリントアウトした用紙を持参してレジに提示しただけです。店員さんの業務用対話の「いらっしゃいませ」「ありがとうございました。また、どうぞ」は、本質的には対話とは言えない。何故ならば「心が通い合う」言葉の交換ではないからです。言及すれば、小生と言う個人は、どのお客も同様に単なる個人としての相手であり商売用語を発しているだけなのです。きっと、そぼ降る雨の中の来店のマニュアルには無いのかも知れません。
 6月末に高知市へ出講予定である。
 学校と言う企業は(全国共通で)、校長という経営者が自由に使える金銭は皆無に等しく、工面する才能があっても苦労は筆舌し難い。経験者だから良くわかる。そこで訪問校の苦労を少しでも軽減させたいとの思いで、窓口の先生には急いて日程の決定を要求した。やっと55日前の特典が受けられる航空券購入がぎりぎり間に合ったのである。昨日、ネットで航空券の早割の予約が済んだ。購入期限が本日の9時半から受け付け開始であり29日が締め切りとなっている。今朝の一番の仕事はこの購入手続きをすることだった。無事にネット業務で購入手続きが完了した。一番近いのはコンビニなのでそのスタイルでの支払い用紙を申請したのである。
 購入用紙を見て店員さんは手際よく、請求額を発して支払いを済ませた小生に受領書を手渡してくれた。その間、一言の「生きた言葉」の交換は無かった。
 連休明けから要請に従って出講するが、主催者からの講演内容依頼事項が「コミュニケーション能力」に関するではないか。親として、教員として、表題の欠乏に対する処方箋を求めているとのことである。
 コンビニでの店員さんと来客とのコミュニケーションはあったのだろうか?いや、この業務成立のためにコミュニケーションが必要だったのだろうか、と考えながら帰宅した。玄関先で出迎えた妻は、「雨、大丈夫だった?本降りでなくて良かったわね」と言葉を発した。「うん、何とか降り出す前に行って来れたよ」と夫は応えた。これって、コミュニケーション能力の基礎基本ではないだろうか。
 若い世代にはコンビニは生活必需品?そこで使われる対話がこの体ではコミュニケーション(=他者とのスムーズな人間関係づくり)など、むしろ不必要な手段になってしまったとしても若者世代にモノを言えまい。
 コミュニケーション能力の基盤は「思いやり」なのであることを聴講者に向かって語りかけようと考えている。小生とコンビニの店員さんとの対話以前の小生の心情を読み取って欲しいのである。つまり、高知の小学校の財政的実情への思い遣り(=少しでも安い航空運賃で出講すること)が、人間関係の成立のための必要条件なのだと説きたいのである。
 講演レジュメと睨めっこして、この思いを主催者にどのように伝えようかと思案である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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