~ちょっと北風が冷たかった~
膝痛の妻が、「少しなら歩いてみたい」と言いだしてから数日が過ぎてしまった。その間は雷雨だったり急な来客の対応だったりと実現が延び延びとなってしまった。今日は時間的にもゆとりがある(いつも毎日サンデーではあるのですが、色々と野暮用がありまして・・・)ので、「歩きたい時」は復活の狼煙を揚げる好機とばかりに意気揚々と出発したのが9時半だった。
夫の「お気に入り」の田園コースは、今朝のこの冷たい北風を全身に受けそうなので妻同伴であれば住宅地の方が良いだろうと選定して歩き出した。転居して1年しか経っていない住民にとっては「未知の道」だらけなのでコース選定は、より取り見取りである。基点になる建物も多くなっていることも助け舟である。
住宅地の庭先の「春の営み」を覗かせていただきながらの歩禅は、まさに心和むばかりの目の保養にもなってくれる。茅ヶ崎市と大きく違うのは庭先の面積である。広すぎるほどの広さに、十分に咲き誇る芝桜は圧巻であった。「家でも植えましょうよ」との妻の申し出には軽い返事をしながら、今や葉桜になろうとしている桜並木の下を歩き続けた。共同住宅が4棟立ち並ぶ風景も、満開のスズランとチューリップ、そして樹木になっているようなカイドウの花の満開が歩禅人の足を引きとめた。木瓜の花ももう散り始めている。気温は今朝も低いが、季節の花々の変容ぶりに季節は確かに春の頂点を超えてしまったようだ。
暫く歩いていない妻に無理がないようにして6000歩を目途にしながら歩いたので帰宅したのが10時半一寸前であった。妻も疲れたようだが、「歩ける」自信が戻ってくれれば有難い。ちっちゃな歩禅を繰り返しながら万歩の歩禅を復活させたいモノである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿