2012/04/14

テレビを視て考える

~「終活」という造語~
 何気なく点けるテレビ。妻の特長の一つでもある(笑)。
 そこに飛び込んできた日本語が『墓友』という活字だった。なに??メル友とかママ友e.t.c. ついに『墓友』なる造語が目に飛び込んできた。追いつけないほど枝葉に付いている造語があふれる時代になってしまった。これも時代の変遷かな?
 画面に映し出された元・教員と自己紹介をしながら『墓友』になった理由の説明をする。何となくわかるような気がして、視る筈だったプロ野球観戦を忘れて見入ってしまった。
 田舎の集落墓地が浮かんできた。
 盆と正月、それに春と秋のお彼岸には「お墓の掃除」は避けられないが、若い頃と違って足腰も弱って来ると墓守りも楽じゃない。都会に出て行った奴らは、帰りたい時帰ってきてきれいな花を挿して数秒拝んで戻って行ってしまうが、枯れた花の片付けも全て地元に残った者たちが追うことになっているのが常識になってしまった。叔父や叔母が愚痴った言葉が浮かんできた。お酒が入ると叔父の愚痴が始まるのが常だった。
 百姓の三男坊で育った小生も、そんな「割の合わない」生活が嫌になって(?)故郷を捨てるようにして上京してしまった。生まれ故郷で生活している人たちには、「ご先祖様」という宗教的思想が根底にあり、逆らうことが人生を裏切ることになるような切迫感があるようだ。そして、愚痴を言いつつも「墓守り」を続けてくれているのだ。
 親戚縁者ではない集団で『墓友』が出来るそうだ。
 「我が子に迷惑を掛けたくない」と、次に登場した夫婦が語り始める。子どもたちが同居を勧めたが拒んだのも同一理由だと説明が続いた。我が子に気兼ねをせずに老後はのんびり暮らして、逝きたいのだそうだ。既に会員としての費用も納入して遺影の撮影も終わったと言う。我が子は、来たい時に墓参りをしてくれればそれで十分だと言う。つまり、墓の管理費も当事者が生前に納めておくシステムのようである。画面からその夫婦の姿は消えたが、収録は、夫婦同居の老人ホームからであった。他の画面に観た『墓友』集団はかなりの人数だったことが妙に脳裏に残ってしまった。
 思想も変わる。
 「お世継ぎ」の話題は皇族界にも波紋が生まれている。次世代への思い方もかなりの変化が生じているように思える。現代流造語も「世代を映す」鏡なのか。番組が終わっても我が老夫婦には言葉がなかった。
 長男夫婦に請われてこの地に新居を構えて転居した、この老夫婦も次世代のご厄介になってしまうことは否定できない。考え込んでしまった夜だった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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