~手植えの球根に新芽が~
登校前の孫たちが大声を上げた。
「お祖父ちゃん、芽が出ているよ」、と。離れに向かって声を発したがこの祖父ちゃんは「何の芽」なのか皆目見当もつかず聞こえてはいるものの反応がイマイチだたようだ。4歳の孫が「きれいな花が咲くの?」と、鉢植えを覗きこみながら祖母ちゃん(老妻)に訊いている声が届いて、ハッと我に返った。
昨年10月末に茨城県立フラワーパークセンターに「ダリア鑑賞」に訪れた。その折にカサブランカの花の球根を老妻が購入した。高価だったことだけは記憶に留めている。しかし、大きめの鉢を買い込んで玄関先に植え込んだことは、孫の歓声を聞くまですっかり忘れていた。と言うより「植物の栽培」など、小学校時代に花壇づくりで何やら戯れた(やらされた?)経験以来、「お手植え」など経験がないのである。笑わないで欲しい(笑)。
「人を育てる」ことのプロとして君臨(?)し続けた当事者としては草花を育てる醍醐味はついぞ味わったことがない。写真のように「大きな芽」が出ているにも関わらず、この老人の眼には飛び込んで来ていなかったということであろうか。
これからどんな展開になるのか?何か手を加える必要があるのか?肥料が必要なのか?水分は??老脳にはこんな回路はなかった。しかし、孫たちが楽しそうに成長を見届けている姿を見るにつけ、祖父ちゃんが「何もせずに」花が咲くどころか枯らしてしまった、となったら存在感も消え入りそうだ(笑)。
読者の皆さんのアドバイスを待っています。この無能な爺をお助け願います。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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