~何十株ものスイセンの球根~
自転車の荷台に積まれた段ボール。
そこからは未だきれいに咲いている水仙の花が見えた。来客用のインターホーンが鳴り、庭先から回って出た妻の話声が聞こえた。訪問者は孫の友人のお祖母ちゃんであることは直ぐにわかった。窓から見える二人の光景は「水仙談義」だったようだ。妻の好きな花にスイセンがある。ホームセンターに行ったら園芸コーナーを覗く。買うのかと思えば、「やっぱり勿体ないから・・」と購入しないで帰宅する。そんな妻との付き合いには慣れっこになっている。
お祖母ちゃんには妻が水仙の花が好きである事は伝えたのだそうだ。妻の故郷から送って来たミカンを届けに行った折に、先方の庭先に乱舞して咲いたスイセンを愛でながらの会話になったそうだ。
お届け戴いた夥しい数の球根を段ボールから取り出したまま呆然としてしまっている妻。庭先にでた小生は、「植えるしかないぞ」と声を掛けるが妻は返事も出来ない状態だった。
物置にしまってあるスコップ等を運び出して、この老体はスイセンの「移植場」の耕作を始めた。とにかく沢山の球根だった。先日のチューリップの移植に続く作業である。小生には園芸のノウハウは殆どない。しかし、お祖母ちゃんの妻への愛情とご厚意を無駄には出来ない。「今夜あたりから雨だそうだから、今朝掘り出した」とのこと。届けていただいた経緯のご説明に「やるっきゃない!」と長靴に吐き直して俄か園芸士に成り切ることにした(笑)。
膝の調子が悪い妻には園芸作業は無理である。出来る範囲に動いてもらいながらの老・園芸士は孤軍奮闘であった。約2時間の農作業で家の周囲の空き地に移植が完了した。妻は大感激であった。来年の春の楽しみが増えたと喜んでくれたのだが、咲くかどうかの保障はございません。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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