~雲雀の囀りは輪唱~
風の冷たさに、この冬は老体が戸外を拒んだ(笑)。
湘南の温もりに48年間飼い馴らされた身体はやはり嘘はつかなかった。当地も東北地方や北海道と比べれば温暖な地なのかも知れないが、環境の動物である人間には移住に伴う「気温の低下」は堪えると痛感した。朝夕の温度の低さが老体を直撃した裏付けは「下着の交換」の対処にあった。
昨日は早い昼食を妻に依頼した。久しぶりの「田園・歩禅」に出向きたくなったからである。午前中の妻のショッピングに付き合った歩数が4000歩だったので、追加して1万歩を超える歩きをしたくなったからである。
独り歩禅は、広大な土地が田園となっている「お気に入り」スポットである。
空高く舞い上がって囀る雲雀の声の輪唱である。遠い少年の日に戻ってしまうのがこの風景である。何羽の雲雀が囀っているのか数えきれないほどの声が頭上で聞こえる。畦道にも雑草らしき緑色がすっかり増えていた。直ぐ近くに見える孫たちが通う小学校の校庭に咲く桜の花も満開だった。
もう寒さも遠ざかる頃だろう。
これからの北風は爽やかな五月の風になるだろう。転住後1年が過ぎた。来年の今頃は、少しは老体が冷たい風にも慣れているのだろうか。そんな独り言を言いながら歩数計と睨めっこしつつ帰宅した。下着の交換をするほど汗ばんだ。心地よい昼下がりはソファで午睡を愉しむことも出来た。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿