~「懐中電灯は?」と叫んで苦笑~
むかしむかしのおはなしです。
貧乏な百姓家には祖母と母と、そして5人の子どもが住んでおりました。夏になると決まったように酷い夕立がやってきました。その都度、村一帯が「停電になる」のでした。当時は家に「ろうそく」の無い家はありませんでした。ろうそくとマッチは仏壇に常備されていました。ある日の夕立は夕方遅い時間に襲ってきました。そして、お決まりの停電になりました。おばあさんが「蝋燭に火を点けて持ってきなさい」と大きな声をあげました。大声を出さないと聞こえないほどの外は土砂降りでした。子どもたちは仏間に走りました。探してもマッチはあっても蝋燭はありません。一番上の姉が、「この前の停電の時に使い終わったんじゃない?」と呟きました。台所でご飯を炊いている母親にその旨告げました。
その夜に限って遅い時間まで雷雨だったので停電も長い時間続きました。家の中は真っ暗です。手探りで布団を敷いて、風呂も入れず(五右衛門風呂は外にあるので雨中では入浴は無理です)寝ることにしました。
夜が明けても電灯は点きませんでした。朝食も薄暗い土間で済ませながら学校に行く準備をしました。宿題が済んでいないのが気がかりながらもランドセルを背負って登校しました。
雷鳴と停電。
60年も前の体験が、老けた脳に刻まれていたのであります(笑)。現代では停電など殆どあり得ません。昨夜は珍しい雷雨だったのです。停電でもしたら母屋も困るだろうと、血流が老脳の思考回路を駆け巡ったために大声で「懐中電灯は?」と発してしまったのでありましょう。
今朝、雨戸を開けて日の出を迎え入れました。
老夫婦の会話は、「懐中電灯は電池がキレていて、役不足だったね」「防災用グッズの懐中電灯を購入した方が良いね」と会話が進展している長閑な朝でございます(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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