お仕着せでない校内研修会の証は「3月30日に実施する」という点に尽きる。暦では明日で学校教育の年度が終了するという日。つまり学校現場における「師走」である。そんな時期に校内研修会が出来るのか?常識的な判断を待たずとも答えは「ノー」に決まっているではないか。
学校長からの訪問要請も無いのになぜ小生がこの研修会に参加できたのは奇遇?
写真は講師の菅原眞弓先生(東京都立川市立第七小学校・教諭)。
講師もバリバリの現職教員であるから不思議に思える。講師も多忙な時期に間違いない。それでも立川市から、会場校・茅ヶ崎市立香川小学校まで電車で出講しているではないか。こうして表面だけを観ていけば、研修会は「無謀な設定」になってしまうのではないだろうか。
「視点や観点を変える」。
これは、訪問した学校で小生が「研究会で指摘する」発想の転換に関する重要なポイントである。旧態依然として実施されている「校内(授業)研究会」に招かれることが多い。それは「やらされている」という義務感が前面に出ている場合が多い。どんな事業も「日進月歩」しなければ向上はない。「昨年度に準じて」行う事業は、実施する前から既に「死に体」ではないか。どんな素晴らしい高額の講師が招かれても「死に金」を払っているに過ぎない。「現場が生きる」ための研修会はどうすれば出来るのか?視点・観点を変えることしか方法知はない。この方法知は経営者の工夫からしか生まれない。経営者しか「現状力」は知り得ないからである。現有勢力に自信のない経営者は工夫という企業努力を果たしていない。つまり現場にある素晴らしい「長所」を観ずして「短所」だけを追いかけ勝手に悩んでしまうのである。
現役教員を講師として「同僚から学ぶ」(=学者は「同僚性の構築」と称す)工夫を施した今回の研修会に「参加」して、遅まきながら(退職した人間には不似合い!?)「視点・観点を変えた」研修会を目の当たりに見ることが出来たのは幸せなことであった。
研修会設定に「視点・観点を変える」視点があったことの賞賛はこの程度にしておこう。
講義の内容がタイムリーだった。、受講者の思考回路に「目から鱗」状態を呼び込んだことだろう。小生は会場の最前列に座ったので後部の先生達の「表情」を見ることは出来なかった。しかし、講師の声に「う~・・・ん」「あぁ~・・・」という「言葉にならない言葉」が音として背中から十分に聞き取れたからである。
圧巻は「これからの時代に求められる授業」(写真上段)である。「特別支援教育の視点」から、通常級における「教科指導の専門性」と「学級経営」への言及であった。配布された「教科と特別支援教育を融合」という新聞記事(日本教育新聞3月8日号)は教員の事後学習にも大いに役立つ資料として価値があると思われる。
授業づくりを「特別支援教育の視点」から考え直すという発想は急務を要する。この機会で得た大きな視点・観点で授業作りに一歩踏み出せば大きな成果が得られること請け合いである。
時は、小学校にも「英語」という指導領域が開始されることとなっている。指導者たる小学校教員が自身の「英語学習の苦渋」をふり返りながら「視点・観点」を変えて授業づくりに精進されることを期待したい。そんな熱い思いと、手作りの素敵な校内研修会に参加できた数時間は「至福の時間」であった。好機に遭遇したことを心から関係者にお礼を申し上げたい。
このブログは教員の読者ばかりではないので敢えてお断りしなければならない。「授業」というフレーズは、一般社会では「製造・制作工程」あるいは営業」と置き換えられる部分は置き換えて判読していただきたい。