2010/03/18

新聞記事を読んで考える(1)

  ~「今」が幕を下ろす時期~
 今日のちっちゃな新聞記事。
 拡大してスキャナしているので見づらいかも知れない。文字を大きくして提示したかったのでご勘弁いただきたい。短い記事なのでインターネットで「関連記事」を詳しく読んだ。二葉百合子さんの熱烈なファンではない(決してイヤな歌手でもない)。ただ、歌手としての「年齢と声量」、つまり声量の維持とそのための訓練手法に日頃から大きな興味があった。掲載記事に表現されていない内容は以下の通り。

 夫である木村忠氏談: 「ちょっと二葉の歌、おかしいんじゃないか」と言われてからの引退は嫌だ」と言ってしまして、私も共感したのです。
 二葉百合子さんご本人の談:「自分としては、半分決心したものの、まだ半分はみなさんに後2~3年は聴いてくだされればという気持ちもありますが、自分で決めたので」とキッパリ。

 『潮時』という、小生の好きな古い日本語表現がある。
 第一線から退く時に用いる一つの表現法だと認知している。「もうお辞めになったっらいかがでしょうか」と囁かれてから潔く退くことも『潮時』を理解した事になるのだろう。しかし、二葉さんのように「自分で決めました」と語られる引き際の表現に何となく心引かれてしまうのは小生だけだろうか。現役としての活動ぶりに触れて異変を周囲が感じるようになってから「自らに言い聞かせる」事への自己嫌悪感に妙に共感をするのである。
 小生は公務員だったので「定年退職」という際限があり、関わった学校教育を辞する『潮時』など考えることもなかった。知人に言われたことがある。「いいなサラリーマンは。定年退職があるからな」と。定年退職のない仕事に従事していると、その『潮時』を自分で決めるのが難しいと知人は付け加えた。一理ある。しかし、サラリーマンにも言い分はある。「まだ十分に働けるのに定年ですから」と職場から放り出されてしまう。辞めるという『潮時』を実感しないままに業務停止となるのは不本意である。これも一理ある。
 とっくに辞めてしまって、『潮時』にも言及することもなかった能天気な小生。後輩諸兄はこの所見を如何お受け止めいただくのだろうか?




 


 






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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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