2010/03/15

数日間でこんなに開いて!

  ~写真で見ると立派な「お庭」・・・~
 ですこと。猫の額の我が家の「1本しかない樹木」にも、本格的な春がやって来ました。
 数日前にこのブログで「つぼみ」をご披露いたしました。ホンの僅かな時間でこんなにまで開いてしまうんですね。これでもう直ぐ「終わり」を告げてしまうのか!「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と嘯きながら一つの代を終えるのでしょうか?そう思えば、平均寿命の延びた日本人は数え切れない「花」を咲かせることが出来ると言うことになりますね。(そうかな??)
 今日の午前中は、「思い立ったが吉日」流儀の人生論で9時から銀行・役場・郵便局と駆け巡りました。やっと年金加入期間確認通知書の補填を完了させることが出来ました。読者の皆さんも、いずれは「年金生活者」になりますよね。もう既にその生活に浸っていらっしゃる諸兄もお有りかと思いますが、厚生省(当時の)の杜撰な年金処理問題も他人事?の小生でしたが、いざ「65歳」という節目がやって来て、他人事とは思えない現実と遭遇してしまい慌ててしまいました。
 実は、小生の「退職共済年金」を産み出す「年金」の歴史が大変複雑になっていたことを思い知らされたのです。教員生活一筋に生きては来たもののその中には細かな変動が生じていたのを思い知ることになりました。「年金」査定の基本資料が抜けていたことを既に期限切れになった時点で厚生労働省・年金機構より通告があったのです。「教員の身分」ででも、勤務先によって年金の種類が違うことを知りました(知っていたつもり・・・)。
 私立学校からスタートした(①私学共済)のですが、公立学校に転勤したので②厚生年金となりました。更に途中から市教委に勤務になりましたので③地方公務員共済、と変わったようです。ご丁寧にも(笑)、小生は②と③を10年間に6回も異動している事実がありました。その都度、担当事務本部が書類を書き換えているわけですから推して知るべしです。今回指摘の最終便は、定年退職(60歳)時前に退職しているので、ホンの6ヶ月間は「国民年金」の算出となる期間が有ったことでした。
 いや~・・まいりました。
 電話や書類の送受信では事務処理が滞ってしまうので東京・湯島にある私学共済本部まで直に行って指導を受けました。大変でしたが、能天気な人間への「試練と忍耐」は十分な効能があったと自負しているところです。本日の午前中はその最終事務処理であっと言う間に過ぎてしまいました。
 これから、スーパーでの買い物があるらしい老妻に付き合って「午後の歩禅」と洒落ましょう!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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