~いつかはやって来る・・・~
古い話になってしまいます。
未だ、市教委の担当参事(=現在は「指導担当部長」?)として市議会の本会議場に臨んでいた頃に耳にした話題です。小生はJR相模線(茅ヶ崎駅~橋本駅)沿線に住んでいます。当時、相模線に新駅が出来る方向で議会でも話題に上っていました。実は、その新駅が出来る予定地は、自宅から徒歩2分の所なのです。通常の運行本数は3~5本ですので、東海道本線に比べれば利便性には格差はあります。しかし、道路事情を考慮しない「定刻」での運行には魅力があります。ほぼ出来るだろうとの思い込みが議会での市長のご答弁でもろくも崩れ去りました。新設駅予定地に隣接する公団住宅(団地)の高齢化が主因だったのです。つまり、利用者数の問題です。その時点での平均年齢を算出したJR東日本には「採算が取れない」乗降客数との決断が働いたようです。
独りでお住まいのご老人の数が多いらしいのです。団塊の世代ジュニアーが通っていた団地内の小学校にはプレハブ校舎の乱立だったのです。我が家の子供達もその学校に通いました。いつしか巣立った子供達は(我が家もゼロ)この団地では生活をしていないようです。現在では「高齢者住宅団地」と化しているという訳です。電車での通勤者数の減少は致命的だったのでしょう。
そして、今朝の記事(写真)を読んでドッキリ。
団地のみならず、高齢者の多くが「孤独な生活」を余儀なくされているのでしょう。エレベーターもない高層(ここの団地は5階建)の部屋から地上との上り下りだけでも苦痛に感じられる老人が多くなっているのでしょう。自然と「孤立化」してしまうのもわかるような人情話です。
最近、小生夫婦も「二階への上り下り」が苦になるね、との会話をするようになっています。いつかはやって来るこんな状態です。夫婦で助け合って生活できる内は、「まだまだ・・」と息子や娘達の「援助の申し入れ」も突っぱねて生きて来ました。しかし、独りになってしまったら?と不安にもなるモノです。
長男一家から「一緒に住もうよ」との催促の声が最近、頓に高くなりました。娘達も「若い内に移動した方が良い」と、長男宅に「引っ越す両親」への後押しも強くなりました。親としては有難いことです。
いつかはやって来る!そんな老後の事を考えさせられる記事です。他人事ではありませんね。重い腰を上げて、孫達が首を長くして待っている長男宅に移動することを真剣に考える時期が到来したようです。新聞を読みながら夫婦でそんな話題をしている、幸せな老夫婦の「寒い弥生の朝」のひと時です。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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