~「別れ」もあれば「出会い」も・・~
ビックリするような手紙が届いた。
老母の介護のために定年までまだ年数を多く残しながらこの3月で退職するという文面である。「お礼まで」との結句に胸が熱くなった。文中には「志半ばで・・」との言葉が差出人の複雑な心境を表現しているように思えて辛くなる。教頭職時代の職員室仲間である。明るい性格が教頭の「叱られ役」を一手に引き受けてくれた。後輩から「**先輩、また教頭先生に怒られたんですか?」とからかわれながらも、「お前ら、こんな先輩になるんじゃないぞ」と、さらりと言い放ってくれたことが何十回あったっだろうか?そこで育った後輩達の多くが立派な教師道を身に付けて育って行ったことは、当時の管理職だった小生には良くわかっている。
母親思いの優しい性格は、老衰していく母親を最短距離で介護しようと決心したようである。レポート用紙2枚にぎっしり詰め込まれた文字が「人生の決断」を伝えてくれる。介護する側の健康管理も重要なことであることを添えて返事を書こう。今後の奮闘を期待したい。
午後になってパソコンメールで他県の教員から朗報が届いた。
この4月から市教委の指導主事に昇任するとのお知らせである。一昨年、昨年と2年間の指定研究校である勤務校に招請された。研究主任としての資質も高く、所属校校長の評価も高いのが外部の人間にも直ぐにわかった。指導主事という職務は激務である。国~県~市と流れてくる文書を「学校へ流す」ことが表面上の業務であるが、「学校という職場」の特徴を踏まえながらソフトランディングさせる人間性も備えていなければならない。十分に素質を備えた指導主事さんになること請け合いである。「健康であること」は、また、このポジションでも必要である。特に「心身共に」健康であるためにも、その管理には十分気をつけて過ごして欲しいのである。そんな内容を添えて返信しておいた。
現場から去る者があれば、新たな現場を迎える者もいる。3月はそんな時期なのか!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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