47年前の話。
随分古い話になりますが、18歳で単身上京した日のことを思い出したのでふと話題にしてみたくなったのです。ボストンバッグ(今は死語?)一つを提げて次兄が待ってくれていたJR小田原駅に降りたのが3月末でした。寝台列車急行「きりしま」号の車窓から見えた関ヶ原付近の「雪景色」には、「思えば遠くへ来たもんだ」(どこかで聞いた歌詞)と寂しさで哀しくなってしまったほろ苦い思い出が今でも通過する度に思い出すほどに鮮明に残っています。25時間もかかった「長い旅」でした。
写真は九州新幹線「さくら」号だそうです。
新大阪駅から終点・鹿児島中央駅までの所要時間が4時間だそうです。昨日、報道陣に後悔された「2011年春開業」の九州新幹線の情報を受け取りながら47年前のことを思い出したという訳です。小生の生まれ故郷は九州新幹線の途中下車駅ですから3時間余りで新大阪から到着できるという計算になります。今流の表現すれば「はやっ!!」ですかね。
当時は、丸一日(24時間)ばかりをかけて上京するのですから、見送る親にしては自分の「死に目」に会えないわが子の旅立ちとなるのです。そんな重い雰囲気だったことも懐かしく思い出されて時代の成長(変化)を実感しています。
ふるさとも遠きに思う時代ではなくなりました。
こちらから遠くなくなったと言うことは、ふるさとからも東京は遠くないのです。これで、益々地方からの東京周辺への「人口流出」に歯止めが掛からなくなってしまうのでしょうか。過疎と過密のアンバランスは「利便性」追究の副産物となってしまうのですね。
遠い故郷を偲んで枕を濡らした時代に生きた世代も還暦を遠く超えてしまいました(笑)。
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