2010/03/23

ふるさとは遠きにありて・・・

  ~九州まで「新幹線」が~
 47年前の話。
 随分古い話になりますが、18歳で単身上京した日のことを思い出したのでふと話題にしてみたくなったのです。ボストンバッグ(今は死語?)一つを提げて次兄が待ってくれていたJR小田原駅に降りたのが3月末でした。寝台列車急行「きりしま」号の車窓から見えた関ヶ原付近の「雪景色」には、「思えば遠くへ来たもんだ」(どこかで聞いた歌詞)と寂しさで哀しくなってしまったほろ苦い思い出が今でも通過する度に思い出すほどに鮮明に残っています。25時間もかかった「長い旅」でした。
 写真は九州新幹線「さくら」号だそうです。
 新大阪駅から終点・鹿児島中央駅までの所要時間が4時間だそうです。昨日、報道陣に後悔された「2011年春開業」の九州新幹線の情報を受け取りながら47年前のことを思い出したという訳です。小生の生まれ故郷は九州新幹線の途中下車駅ですから3時間余りで新大阪から到着できるという計算になります。今流の表現すれば「はやっ!!」ですかね。
 当時は、丸一日(24時間)ばかりをかけて上京するのですから、見送る親にしては自分の「死に目」に会えないわが子の旅立ちとなるのです。そんな重い雰囲気だったことも懐かしく思い出されて時代の成長(変化)を実感しています。
 ふるさとも遠きに思う時代ではなくなりました。
 こちらから遠くなくなったと言うことは、ふるさとからも東京は遠くないのです。これで、益々地方からの東京周辺への「人口流出」に歯止めが掛からなくなってしまうのでしょうか。過疎と過密のアンバランスは「利便性」追究の副産物となってしまうのですね。
 遠い故郷を偲んで枕を濡らした時代に生きた世代も還暦を遠く超えてしまいました(笑)。 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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