~同業者に話すときは力んでしまう?~
今日の会場は市内の中学校でした。
校内研修会の講師としての招請です。会場を見渡しました。(当然のことながら)知り合いだらけの会場です。新採用教員として赴任してきた者、教頭時代に共に働いた同僚、部活動の指導者として雌雄を決して闘った仲間、英語教員仲間として長期に渡って苦労を共にした教員、それに教え子で教員になっている者等々。関係の無かった人が少ないほどの「密接な関係」を有する人たちを相手に講義をすることは気恥ずかしいことです。
招請の「開き直り」哲学は今日も生きていました。
過去の関係の有無と深浅を考慮して講義など出来る器量ではない、との「開き直り」精神は120分という長時間を耐えることの出来るモノでした。中身についての評価は聴講者の自己判断ですから案じることもいたしません(笑)。
ともあれ、後輩校長(会場校)の依頼に応えられたかどうかは別にしても「力んで」講義をしている自身に気が付いたことは事実です。可愛い後輩諸兄の真剣な眼差しに、ついつい・・・力んだのでしょう。許されたし!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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